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スタンダード この年末、ウチの中は最悪だった。 東邦に入ってからは、空手をおざなりにしてサッカー一筋のようになってしまった俺なので、父さんとは今もそれ程うち解けているわけではない。元から砕けた会話を交わす親子関係というよりは、厳格な父と厳しく育てられた息子兼弟子といったカンジである。 おまけに俺は思春期まっただ中、なんでも腹を割って話すという年頃でもない。 話せないことだって、秘密だって色々あったりするし…。 「健、今学期の成績もまずまずだったようだな。」 普段はあまり俺の学校のことを口にしない父さんだが、さすがに二人きりで気まずいと思ったのかぎこちなく話題を振ってきた。 「うん…まあ。でも普通。」 「だがな。いくらエスカレーターとは言っても気を抜くんじゃないぞ。他所の中学3年生は今頃、寝ずに受験勉強しているんだからな。」 「わかってるよ。」 「サッカーも、とりあえずは約束だから続けてかまわんが…。」 「大丈夫、ちゃんと両立するから。」 ぽつりぽつりと会話が成立する。ひと呼吸おいて、突然父さんは肺の奥底から深く長いため息をついた。 「わしの話に素直に返事をくれるのは、もうお前だけだ。」 「父さん…」 なんだか急に、これまで威厳と迫力に満ちていた父親が、小さく年老いたように見えた。 * |
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「どいつもこいつもワシに反抗ばかりしおって。」
別に反抗がしたいわけでもないんだけど。ただ好きなように生きたいという自我に目覚めただけで、それがたまたま父さんの思いと逆行してしまったというか。 まあ頑固一徹のこのヒトにとっては想像の範疇を越え過ぎてしまったのかもしれない。 遡れば一番の反抗玉はこの俺だし、ここはちょっとしおらしくこれまでの自分を省みて、父さんのご機嫌をうかがってみることにした。 「俺も今までさんざん父さんに反抗してきたよね。一人で突っ走って、迷惑もかけたし・・」 「うむ」 「でも、後悔はしてないよ。」 一応、今の生活を否定しないよう釘を刺しておく。 「…ごはんまだかなー。」 母さんはまだ戻ってこない。すると父さんは、まるで指先でのの字でも書くような口調でうじうじと愚痴りだした。 「おまえが道場を継いでくれるなら、ワシはもう思い残すことはないんだが。」 うわ、出た。 頑固で強引な父さんにもこれまで随分振り回されてきたけど、気弱に同情を乞われても困る。むしろこっちの方がうっとうしい。 俺は聞こえないフリをしてコンニャクを頬張った。しかしなおも父さんは未練たらしく続ける。 「はっきり言って、昇の奴よりお前の方が才能もあるし器量もいい」 「…器量はべつにカンケーないと思うけど。」 「鮫に噛まれても切れない繊維の研究など…まったくくだらん!」 兄貴は大学でそういうことをやってるらしい。おもしろそうじゃん?研究が成功すればダイバーは大喜びだ。 まあ、空手バカ一代の父さんにとったら、くだらないことなのかもしれないけど。 「…ところで、小次郎は元気でやってるか?」 いきなり出たその名前に、俺は茹だり切った豆腐で口の中を大やけどしそうになった。 「うっ…うん。小次郎も元気でやってる。」 なんとか冷ましながらのみ込んで、思わずおうむ返しに答えてしまった。 …小次郎、なんて言っちゃったよ。すごい違和感。 「若いウチはスポーツに没頭するのが正しい姿だ。頼もしいな。」 所詮父さんも他所の子にはヌルい。スポーツを推奨しつつもウチの場合は絶対的に空手限定だものな。サッカーを始めるって言った時の、鬼瓦のような父さんの顔は今でも忘れられない。 そんなことを思いながらも俺は今、ものすごく動揺していた。 帰宅早々、家族のゴタゴタで考えるヒマがなかった「あること」が、急に頭の中で蒸し返されたのだ。 実はほんの2日前、俺と日向さんの間には天変地異が起きていた。 * |
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冬休みに入った学園寮は、帰省する生徒やなんかでバタバタと慌ただしかった。 「なんだよ、なんかあんの?」 「実はさ…」 なんでも寮監さん(学校に雇われている住み込みのオジサン)が身内に不幸があったとかで、夕方から翌日の昼まで留守するというのだ。 その情報をいち早くキャッチした反町その他サッカー部面々が、部活が終わったすぐ後に街にチャリンコをぶっ飛ばし、深夜のお楽しみアイテムを調達してきたらしく・・・レンジでチンの冷凍ピザだとか、駄菓子の数々、発泡酒にチューハイに(俺ら未成年だっつうのに)どこから仕入れてきたのか妖しいタイトルのアダルトビデオが、嬉々として抱えた紙袋の中にひしめき合っていた。 夕飯と風呂を済ませて、消灯時間も間近といった頃、談話室に誰からともなく「お楽しみ会メンバー」が集まって来た。サッカー部員の中でも、午後の練習を終えてすぐに帰省してしまった奴も結構いて、残っているのは俺を含めても6~7人といったところだ。 ソファーを窓際に追いやって、床に飲み物とおつまみを広げ、ちょっとした忘年会気分だ。 「割り勘か?」といいながら日向さんがドッカと座り込み、迷わず発泡酒を手に取った。 「では。今年の俺達サッカー部の大活躍に…カンパーイ!」 まあ今年は曲がりなりにも大会優勝を果たせたわけで、今日くらいハメをはずしてもバチは当たらないよな、なんて自分に言い訳しつつ俺もチュ-ハイをグビッといった。 つけっぱなしのテレビからは年末特番のバラエティが流れ、よりいっそう年の瀬を感じさせる。 どちらかといえば苦手だった寮生活も、この3年で随分馴染んだものだ。 自分で飛び込んだ世界とはいえ、日向さんと同じ部屋にならなかったらひょっとして私生活の面でもピリピリしていたかもしれない。日向さんて、がさつで無神経に思われがちだけど、案外場の空気を読める人なんだよな。サッカーが絡むと性格激しいとこあるけど、普段は意外とおだやかで口数も少ない。 親兄弟といるより自然でいられるような気がする。 まあ3年間も寝食共にしてるわけだから、すでに身内のようなものかもしれない。 そうこうしているうちに酒も進んできて、誰かが「そろそろいきますか」と言った。もちろん本日のメインイベント、AV観賞だ。オオー-ッと歓声が上がり、紙袋から丁重に取り出したエッチなタイトルのビデオテープをそそくさとデッキに差し込んだ。 取って付けたようなやぼったいストーリーが不自然な勢いで進んでいき、いつの間にやら男と女が全裸になっていた。もう話なんてどうでもいいってカンジの展開で、正直うすら笑いが浮かんだ。 シーーンと静まり返った談話室に、AV女優の喘ぎ声だけがひびく。…なんか苦手かも、こういうの。 ふと隣の日向さんを見ると、平然と発泡酒を飲みながらまるで競馬の中継でも見てるかのような顔をしている。とても興奮とかしているようには見えないのが、ちょっと悔しい。 * |
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日向さんは小学生の頃から、屋台とか新聞販売店とかで大人に囲まれて働いていた。 「え…?」 一瞬なんのことだか分からず聞き返してしまった。 でもテレビの中で今まさに絶頂をむかえようとしているセックス真最中の女の声とその顔がアップになった瞬間、体の温度が2~3度上がったみたいにボッと熱くなった。 「どっ、どういうイミだよ!」 俺は真っ赤になりながら声を殺して怒鳴っていた。 俺は髪だってこんなに茶色くないし、こんな声じゃない。だいいちこんな顔で喘いだりしない。ていうかセックスしたことないし。 経験があったとしても、その時の顔なんて人に見られるもんでもないし、まして日向さんになんて間違ってもありえない。だいたいこの寮に女の子を連れ込むことなんて絶対出来やしない。 心外なことを言われ憤慨する俺をさらりと流し、日向さんは残りの発泡酒を一気に飲み干した。 それと同時くらいに、ビデオの方もあっけなくエンドロールに画面が変わった。いつの間に終わったのか、ストーリーの余韻なんてあったもんじゃない。ようするにセックスシーンが終われば用無しといったカンジだ。 暗い中、誰かがそそくさとビデオを止めて片付けが始まった。 「じゃあ、そろそろお開きだな。」 「んだな。空き缶は各自持ち帰って明日、外で処分してくれよ。間違っても寮のゴミ箱に捨てるなよ。」 心なしか作業が早い。みんなこれから部屋に帰って今のエロビデオを脳内再生しつつ…。 メンバーのほとんどはルームメイトが帰省してしまい今夜は一人部屋状態だから、なんの遠慮もなく掻きまくれるというわけだ。あからさまに会話もなくイソイソと片付けを進め、ソファーも元に戻しいつもの談話室があっという間に再現された。 「じゃあ、今夜はよい夢を。」 「おやすみ~~」 そそくさとあいさつを交わしながら、各々の部屋に消えていった。 そして残ったのは俺と、日向さん。 さっきのやりとりを思い出しては顔が赤くなる。これから同じ部屋で二人だけになるのが分かっていながら、なんであんなこと言ったんだよアンタ。頭の中で毒づきながらもチューハイのせいで足元がフワフワする。 (あ~もう早くベッド入って寝よ。帰りの準備は明日でいいや。) 部屋の前まで来て、日向さんがふいに言った。 「俺、しばらく出てようか?」 * |
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「え?」 「べつに、あんなの見たからってどってことないし!」 電気をつける前でよかった。きっと今の俺はゆでダコみたいに顔が真っ赤になってたに違いない。 「俺が掻く間外に出てろ」ならこんなに腹も立たないが、出ていてやるからオマエは掻けって、それってどうなんだよ。明らかに俺の負け前提じゃないか!(勝ち負けの問題じゃないが) 「無理すんなよ。ほんとはムズムズしてんだろ?結構激しかったもんなーさっきの。」 あんまり俺がムキになって怒ったもんだから、日向さんはニヤッと笑ってますますからかうように挑発してきた。 他の奴らの冗談なら、こんなに頭に血が昇ったりしなかったのかもしれない。むしろ笑って「じゃあ遠慮なく」なんて言えただろう。 けど、日向さんに下半身の話題を振られるのは、実を言うと元々苦手だった。なんでか分からないけど、冷静でいられなくなる。別にコンプレックスがあるとかそんなんじゃなく、俺の中のそういう部分を日向さんに触れられるのがなぜかすごくイヤなのだ。 何かを見透かされるような、できれば隠しておきたい何かを暴かれるような気がして。 それは漠然としたもので、自分でもうまく消化できないでいた。それなのにこの人は、そんな俺の思春期的な葛藤におかまいもなく、デリカシーのない言葉でずかずかと踏み込んできた。 酒に酔っていたからか、それともさっき、アダルトの女なんかに似てると言われたことが俺をおかしくしたのか、日向さんに向き合うと俺はできるだけ静かな声でタンカを切った。 「わかった。そんなに俺にオナニーさせたいなら、この場で見してやるよ。」 ようするに日向さんは、普段そのテの話になかなか乗ってこない俺の、そういうエッチな部分を見て面白がりたいだけなんだろう。そして「なんだ、おまえだって他の奴らと一緒じゃん」みたいなことを知りたいワケだ。 バカげていると思いつつ、言い出したからには意地もある。 俺は威勢よく上着を脱いで、Gパンのファスナーをイッキに下ろした。 「えっ、ちょちょ、ちょっと待て!おい!」 ドアも開けっ放しでストリップを始めた俺に、さすがの日向さんもうろたえた。 慌ててドアを締め、いざパンツに手を突っ込もうとした俺の両手首を慌てて掴んだ。 「もういいって!ゴメン、言い過ぎた。」 窓の外から入る玄関の外灯だけが、俺達をぼんやりと照らしていた。 * |
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どうやら俺は、酔うと気が大きくなってしまうらしい。普段は理性で押しとどめている部分も、まあいっかでさらけ出してしまうようだ。もうハメを外して飲むのはやめよう・・・酔いが醒めるときっと死にたくなるほどの後悔に苛まれるに違いない。 この声が好きだ。もっと呼ばれたい…。 俺は目をつぶって、その声の余韻を噛みしめた。 * |
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唇に日向さんの吐息がかかる。 貪る、ってこういうことかと思うくらい激しく口付けられ、意識が遠のきそうだ。 もしかして日向さんも俺を?なんて淡い期待を抱きながら・・・。 掴んだ手はいつの間にか背中に回り、遠慮がちに顔だけ寄せた体勢からさらに密度を増す。所在なげに投げ出していた俺の手も、気がつくと日向さんの肩をしがみつくように掴んでいた。 実をいうとファーストキスだ。日向さんはどうなんだろう‥‥もう誰かとしたことあるんだろうか。 胸がズキンとした。いやだ、俺が初めてだと言って欲しい。 自分でも恐ろしいくらいの独占欲が沸き上がってきて、俺は差し出された日向さんの舌を思いっきり吸った。 すると日向さんの体がビクンと震えて、背中を抱く手に力がこもる。それはだんだんと腰に下りてきて、尻のあたりをつかむとグッと下半身を押し付けてきた。なんか、硬いものが当たる‥‥。 あれだけエロいビデオを見ても平然としていた日向さんが、俺とのキスでこんなに興奮している。そう思うと心が弾んだ。絶対に手に入らないと諦めていたものが今目の前にあって、指一本触れられたような、そんな気がして‥‥。 あきらかに勃起しているソコを押し付けられて、俺も平気でいられるわけがない。俺だってフツーに性欲もある。性の対象はちょっと、他の奴らとは異なるけど。ていうか、まさに性の対象である日向さんに抱き締められてキスされてるわけで、冷静でなんかいられない。 キスされた時点ですでに熱を持っていた俺のアソコも、答えるように頭をもたげ始めた。 酔ってフワフワした足元は平衡感覚を失っていて、日向さんに支えられるまま体を預けていた。そして気がつくと背中がひんやりとして、視界には天井が見えた。いつの間にかベッドに押し倒されていたのだ。 日向さんの重みが心地よい。首筋を舐めたり吸われたりしながら、俺はどうしようもなくエッチな気分になっていった。 * |
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身にまとうすべてのものを、ぎこちなく脱がし合いながら、いつの間にか俺たちは裸で抱き合っていた。 俺って、こんなに大胆な性格だったっけ。 少し体を起こして、日向さんは舐めるように俺の体の隅々を見つめた。下肢に押し付けられた日向さんのものが、よりいっそう膨らんだ気がした。その感覚に、俺のもかなり限界に近づいた。なにしろ、まだセックスも知らない、自慰でしかイッたことのないウブなムスコだものな。他人の体に触れたこともないのに、それがいきなりこんな状況、もう自分でも信じられない。 先っちょから透明な液体を溢れさせ、切なく震えている俺のを、日向さんがそっと握った。 「アァ……!」 たったそれだけのことで、俺は情けなくもあっけなくイッてしまった。…恥ずかしい…。 放った後も握ったまま何度か扱かれて、気が変になるくらいキモチよくて思わず変な声で喘いでしまった。打ち上げられた魚みたいにビクビクと体が跳ねて、自分でコントロールできない。まるで全力失踪の後みたいに息が上がって酸欠になりそうだ。 そんな荒い呼吸を吸い込むように、日向さんの唇が重なってきた。イッたばかりなのに、また熱くなりそう。 日向さんの口付けに答えながら無意識に腰が揺れてしまう。そんな俺に煽られたのか、日向さんの動きが急に乱暴になった。両足を限界まで開かれて、いきり勃ったものを突き立てられた。 その、俺のアソコに…。 男同士のセックスがどういうものか、一応の知識はあったものの、さすがに現実に直面するとかなり体が震える。実際、そんなことできるの?ってのが正直なキモチだ。けど、ヌルヌルとした日向さんの先っぽがソコに触れると、今までにない興奮と飢餓感が俺を襲った。 日向さんになら、ソレで体を引き裂かれてもかまわない。 ああ、やっぱり俺って、酔うと気が大きくなりすぎちゃうんだな。 でもきっと、後悔はしない。 ぼんやりとした頭の中で、俺は覚悟を決めた。 * |
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朝、目覚めるとベッドには俺一人だった。 「シーツ、洗濯すっからさ、おまえシャワー浴びて来いよ。」 言われてみると、ベッドの上は結構ヒサンなことになっていた。いったい何回イかされたんだろう。二人分の精液が染み付いたシーツは、その臭いも生々しく残っていて、夕べの行為が鮮明に思い出される。 終わった直後は興奮状態のせいかわりと平気だったのに、今になって猛烈に恥ずかしさが込み上げる。 けどそんな縮こまった俺とはうらはらに、何事もなかったように振舞う日向さんが気になる。とくに甘い言葉を期待していたわけじゃないけど、なんだかそっけない。 正直いうと目覚めた時、隣にいて欲しかった。日向さんの体温とか匂いとか、素面のアタマで確かめたかった。そして、酔った勢いなんかじゃなかったってことも。 なのに、自分だけさっさと起きて、シャワーまで浴びて、事務的にシーツの洗濯とか言ってる日向さんが、まるで夕べのことをなかったことにしたがっているように見えて、俺は密かに落ち込んだ。 とりあえず、脱いだままの下着とズボンをはいて簡単に服を羽織ると、シャワーを浴びに部屋を出た。 体中が痛い。随分ヘンな格好をさせられたし、肉離れなんかを起こさなくてよかったとホッとする。 そしてどこよりも痛いのはやっぱりアソコだ。 でも、この痛みは日向さんとひとつになれた証なのだ。 目覚めるまではそんな幸福感で満たされていたはずなのに、今の俺は、暗雲が立ちこめる原っぱに独り放り出されたような、そんな不安と苛立ちでいっぱいだった。 * |
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「反町、おまえいつ帰んの?」 ぼんやりと納豆の小鉢をいつまでもかき混ぜる俺に反町が声をかけてきた。 「若島津、食欲ないの?」 「あー…ふ、二日酔いかな…。」 「なんだよ、意外とヤワだな。」 その、何気ない空気に取り込まれるように返事をした俺だったが、なにか見えない仕切りに囲まれているような疎外感を一人で勝手に感じていた。 日向さんはここに来てから一度も俺を見ない。そりゃあ、あんなことしちゃった後だし、気まずいのはお互い様だけど。 でもせめて皆の前では普通に、いつものように「食えないんなら俺にくれよ。」くらいのことを言ってくれてもいいじゃないか。 やっぱり、後悔してるんだ…。 こういう場合、俺の方から「忘れよう」と切りだした方がいいのだろうか。 俺にだってプライドはある。さんざんやられて(というかきっかけを与えてしまったのは俺だけど)やっぱ昨日のことは‥‥なんて言われたらもうきっと立ち直れない。 俺は、本気だったから。真剣に日向さんに抱かれて幸せだったから、尚のことみじめな自分が容易に想像できた。 まったく味も感じない朝食をさっさと終わらせ、部屋に戻ろうとすると日向さんに呼び止められた。一瞬すくみあがりそうになったけど、なんとか自然に振り向くことが出来た。 「…なに?」 「洗濯物が乾くまで居るだろ?俺はグランドでちょっとボール蹴ってくるわ。‥‥おまえは部屋でゆっくりしてろ。」 そうだった。俺のベッドのシーツはさっき干されたばかりで夕方までは乾きそうにない。 別に一緒に帰らなくても、なんて荒んだ気持ちで拗ねてる自分が、すごく子供じみていて女々しくて自己嫌悪だ。 明和に着いた頃にはもうすっかり夜になっていた。 電車の中でも、駅からの道中も、たいした会話もないまま黙々と家に向かって移動した。内心、いつ夕べのことを否定する言葉を浴びせられるかと俺はビクビクしていたけど。 考えたら夕べは恋が叶ったような錯覚をしていたが、実際日向さんの口から「好き」とかそんな言葉はなかったし、順を追って思い返せば「はずみ」といってもしかたのない状況だった。 そうこうしてるうちに、家の近くの曲り角まで来てしまった。一緒にいて正直苦しい時間だったのに、もう別れなければならないかと思うと泣きたくなる程寂しい。 「…じゃあ。」 「うん…えっと、よいお年を。」 精一杯普通にあいさつをすると、俺は日向さんに背を向けた。 * |
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「やだお父さんたら、健にお酒なんか飲ませて」 その声にハッとなり、現実へ引き戻されたようやくお代わりを持って現れた母さんが、眉間にシワを寄せて父さんを批難していた。 「え、お酒?」 「顔、赤いわよ。飲んだでしょ。」 日向さんとのことを思い出し、俺は顔を赤らめていたらしい。目の前には煮詰まったすき焼きがグツグツしているし、顔も体もジンジンと火照っていた。 「の…飲んでないよ。」 力なく否定して、差し出された茶碗を受け取った。 「健をあいつらのような不良と一緒にするんじゃない。なあ、健。」 そういう父さんはもう結構酔っていて、据わった目で俺に相づちを求めたが、口をつぐんだ俺の代わりに母さんが反論した。 「あのコたちは不良じゃありませんよ。そういう年頃なのよ。お父さんがそんなんじゃ、好きな人ができても素直に紹介なんて出来ないじゃない。ねえ?」 「お…俺はまだそんな、好きな人とか……」 たとえどんなに寛容な父だったとしても、体まで許した恋の相手が日向さんだなんて、天地がひっくり返っても言えるわけがない。それこそ今度こそは間違いなく勘当されるに決まってる。 でも、今の俺はそんな現実味のない心配事より、実家に帰ったままあれから音沙汰もない日向さんの事で頭がいっぱいになってしまった。考えれば考えるほど胸が締め付けられそうになる。時間が経てばその分、あの夜のことが霧散していく気がして不安になる。 こんなに好きだったなんて。 自分の中で完全に揉み消したつもりでいた日向さんへの気持ちが、こんなに強いものだったなんて。 黙々と酒を飲みながら絡んでくる父さんをどうにかやり過ごして、俺は自室のベッドに横になった。家を出た時そのままに俺の部屋は残されていて、こうして帰省をすればちゃんと自分のスペースがあるのはありがたかった。 「最近、メシ食ってる気がしないなあ…」 ただの義務感で食事を口に運び咀嚼する、といったカンジだ。なんだか不健康だ。 ぼんやりと天井の木目を眺めてると、引き戸の向こうで母さんの声がした。 「健、お父さんがお風呂一緒に入ろうって言ってるけど、どうする?」 あれだけ飲んで風呂入って大丈夫かよ。というか、父さんは布団に入る前には必ず体を浄めないと気が済まない人なんだよな。どんなに酔ってても、高熱があっても、それだけは譲らない。 俺はつくづく頑固で融通のきかない父親を持ったものだ。 「んー、今はちょっと、パス。」 風呂に入ってまで兄貴や姉貴の愚痴を聞かされるのはまっぴらだ。 でも、それよりも何よりも、父さんの前で裸になるのはヤバかった。日向さんに付けられた跡が、首筋や胸元にまだうっすらと残っているのだ。こんなものを見られた日には・・・想像するだに背筋が凍る。 消えかかった残り香を追うように、かすかに印されたその跡を指でそっと撫でた。 * |
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コンコン。 窓の方から音がして、俺は跳ね起きた。(な、なに…?) 息をころして耳を澄ますと、またしてもコンコンと窓ガラスが鳴った。 俺の胸は高鳴った。もしかして‥‥? 足音をたてないようにカーテンの前まで素早く行く。けど、開けるのをためらってしまった。 もし、外にいるのが日向さんで、俺に用があって来てくれたのだとしても、曲り角で別れたあの日の日向さんを思い返せば、どうしたって俺が望むような展開は期待できそうもなかったからだ。 このまま開けずに気付かないフリをすれば、決定的な失恋を少しでも先延ばしにできるかもしれない。やっぱり、俺だって傷付くのは怖い。そしてその言葉を聞くことによって、今までのように日向さんに接することは、俺には無理だと分かっていた。 日向さんに抱かれて有頂天だった自分が、今となっては恨めしかった。 「ハア…」 聞き覚えのあるため息が窓の向こうから聞こえた。ああ、やっぱり、日向さんだ。カーテンを開ければあの人がいる。たった3日しか経ってないのに懐かしく耳に届く吐息を感じて、俺はいてもたってもいられなくなった。 「日向さん…」 カーテンとサッシを一気に掴んで、思いきり窓を開けた。すると、鼻の頭を赤くした日向さんがくっきりと白い息を吐きながらそこに立っていた。 「…よお。」 肩をいからせてガチガチと震えながら、こわばった顔で笑って見せた。こんな寒い中、いったいどれくらい前からいたんだろう。そんな日向さんを見て、俺は不覚にも泣きそうになった。 「そんな顔、すんなよ。…また、抱きしめたくなっちまうだろ。」 …え? 「こないだは、その、突然あんなことになっちまって、俺、心の準備とか覚悟とか、なんもできてなくて‥‥そんで、あの後まともに顔、見れなくて‥‥」 寒さで口元がかじかんでいるのか、途切れ途切れに言葉をつなぐ。にわかには信じられないような、真剣なまなざしの告白に、俺はだまって耳を傾けた。 「でも、これだけは、ちゃんと言っとかないと、ダメだから。」 「……何?」 「酔ったいきおいで、あんなこと、したわけじゃないから。俺は、おまえが‥‥若島津が好きで、好きで、どうしようもなくて、そんで‥‥」 俺はしゃくり上げそうになって思わずセーターの腕で口を塞いだ。 「たまんなくなって、おまえを抱いた。」 「…うっ…」 体中の力が抜けて、その場にへたりそうになった。全然、想像もしてなかった日向さんの言葉。はずみでも、酔ったいきおいでもなかった。日向さんは本気だった。 「日向さん…」 俺はここがどこかも忘れて、日向さんの肩に手を置くと、自分からそっと唇をよせた。 * |
| 日向さんは俺の唇をしっかりと受け止めてくれた。 氷のように冷たくかじかんでいた日向さんの唇を溶かすように、何度も何度も口付けた。だんだんとお互いの体温が近づいて、ジンとした温もりが伝わってくる。キスだけじゃ足りなくなってきて、肩を掴む手に力が入った。 「日向さん…こっから入って…」 そう言いかけた時、風呂場の窓から野太い声が俺を呼んだ。 「おーい、けーーん!誰か来てるのか――!?」 うわ、ヤバ。そう言えば俺の部屋の横は脱衣所と風呂場が並んでいて、湯舟に浸かってると結構庭の音が聞こえるんだ。まさか、まさか今の会話‥‥。 青くなって固まってると、日向さんが風呂場に聞こえる声で叫んだ。 「すいませーん、こんな遅くに!小次郎ですっ。若島津にちょっと渡したいものがあってっ。すぐ失礼します!」 「なんだ小次郎か。上がって話せばいいだろう。表から入んなさい。」 どうやら話の内容は聞かれてないようだ。俺は胸をなで下ろした。 「いや、もう遅いんで。おやすみなさい!」 日向さんはそう言って再び俺に視線を合わすと、参ったな、という顔をして笑った。この人のこんな顔を見るのはすごく久しぶりで、つられて俺も笑ってしまった。 「あのな、新聞屋でちょっと手伝いしたら、コレ、くれたんだ。明日なんだけど。」 そういってポケットから2枚、チケットを取り出した。日本史の教科書に出てくる屏風絵のような柄。それは天皇杯サッカーのチケットだった。 「明日、誕生日だろ。一緒に…行かねえか?」 照れくさそうに頭を掻きながら、用があるならいいんだけど、なんて言う。そんなの、行きたいに決まってんじゃん!だって今年の準決勝は地元レッズだし、チーム独特の、ピッチとスタンドが一体となった、あの熱気と興奮はたまらない。 けどそんなことよりも、日向さんと誕生日を過ごすことができるなんて! 答えは決まってるのに、返事を忘れてぼんやり日向さんを見つめてると、不安気な顔で言った。 「…やっぱダメか?」 「行く!行くよ!絶対行く!」 「じゃあ明日、迎えに来る。カゼとか引くなよ!初デートなんだからな!」 えっ、デート?その言葉に顔がボッと赤くなる。不意をつかれ、チュッとキスされた。 「おやすみ、若島津。」 今まで聞いたことのないような優しい声で囁かれ、体の芯が疼いた。 あ、俺まだ、アンタのこと好きって言ってない。 そう思った時にはもう、日向さんは小走りに門をくぐって姿が見えなくなっていた。 明日、サッカーの興奮でそんなムードになれるかどうか分からないけど、でもちゃんと言おう。 ずっと、好きでした、って。 |
2005.12.6~2006.1.9(お海老連載)