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「やっぱプロの試合は勉強になるな」 小泉さんからこっそり貰ったナビスコカップのチケットで、俺と日向さんは三ツ沢球技場でのマッチを観戦しに来ていた。2枚しかないけど、と日向さんが貰ったものだがあの人は当然のように俺を誘ってくれた。 サッカーが好きでそれに明け暮れる生活を送ってはいても、目標でもあるプロの試合を観る機会はほとんどない。時間がないというのもあるが、親元を離れた寮生活の俺達にとって観戦チケットは高価なシロモノだ。そうそう自分で買えるものでもないのだ。 存分に試合を堪能した後は、バス代をケチりぞろぞろと人の波に乗って駅までの坂道を下る。 ホームで勝ち試合だったからかサポーターのテンションも高いままで、俺達もその雰囲気に乗っかって試合内容を思い出しながらずっと喋り続けながら歩いた。 「おまえだったらあの場面、絶対飛び出してたよな」 「んー、そうかな、そうかも。そんで後で怒られるんだな、また」 「いいんじゃねえの?それがおまえのスタイルだし」 「そう?」 「俺は好きだけど」 「………」 この人の何気な告白(というのだろうか)にはもう慣れた。いや、マヒしてきたというべきか。 なにしろ始まりは、なんの脈絡もないキスだった。 机を並べた寮の部屋で、日向さんはいきなり「キスしていいか」ときた。しばしの押し問答の末、俺はつい情に流されて唇を許してしまったわけで…。 まあそんな出来事があり、それ以来日向さんは事あるごとに「好き」とか「キスしてえ」とかを連発するようになった。キスはあれ以来許してないけど、「好き」と言われることへの拒絶感とか嫌悪感とかはそう感じなくなってきていた。むしろこの人に好かれているんだという満足感というか、なんともいえない心地良さに満たされる自分に気付いてちょっと焦る程だ。 浅間下の交差点を左に曲がると人の波が半分に減った。 前後密集していた歩行人は次第とまばらに散っていき、気が付くと互いの呼吸が聞こえるくらい辺りは静かになっていた。 これから横浜線で揺られ小一時間、八王子から更にバスで20分…腕時計を見ながら寮に着く時間を計算してると、隣を歩く日向さんの足がぴたりと止まった。 「?どしたの」 振り向くと日向さんは裏寂しい路地の方をじっと見ていた。数歩戻って視線をたどると、そこには妙に場違いなイルミネーションの建物がひっそりと立ち構えていた。装飾とシチュエーションが実にミスマッチである。 「あのね、日向さん。あれラブホテル。駅こっち」 腕を掴んで先を急ごうとする俺を、日向さんは逆に引っつかんだ。 「なにすんの!早く電車乗らないと終バスなくなっちゃうだろ」 「ここ、入ろう」 「なに言ってんの!冗談は電車乗ってからにしてよ」 「いいよ、今日は帰れなくても」 「はあ?」 呆気に取られる俺の手を強引な腕力で引っ張り、日向さんはまんまと俺をその淫靡なラブホテルに連れ込んだ。 「あんたね…っ」 「静かにしろよ。恥ずかしいだろ」 「……!」 どうなってんだとか、ややこしいなクソとかブツブツ独り言を言いながらもちゃっかりとキーを受け取ると、「行くぞ」と、まるで俺が付いていくのが当然といった振る舞いでエレベーターに乗り込んだ。 俺ってホント、なんでこんなに流されやすいんだろう…。 キスの時だってそうだ。きちんと嫌だと言えなかった自分が情けない。 普段の俺はどちらかといえば頑固で融通が利かないタチのはずなのに、日向さんが相手だとつい一歩譲ってしまうというか、この人が言うんならしょうがないか…なんて納得してしまう癖がある。 その結果がこれだ。 俺はとうとう日向さんに連れられてラブホテルまで入ってしまった。 帰れなくてもいいって、まさかここに泊まるつもりなのだろうか。 「なにボーッとつっ立ってんだ。座れよ」 「座れったって…ベッドしかないんだけど」 「そういうところなんだからしょうがねえだろ」 「まあ、そうだけど…」 俺は仕方なく日向さんとは少し距離を置いてベッドに腰掛けた。 「今日の試合、ニュースでやってっかな」 そう言って日向さんがテレビのスイッチを入れた途端、画面に現れたのは目を覆いたくなるようなセックスシーン真っ只中のアダルトチャンネルだった。 「う、わ…消せよ。こんなの見たくないし」 …今このシチュで正視できるようなもんじゃない。これ以上おかしなムードになったらどうしてくれるんだ。 焦る俺とは対象的に、日向さんは腕を組んでじっと画面に見入っていた。 「この女胸でけえ…どんなカンジなんだろうな。触ってみてー」 え…? 俺は正直ぎょっとした。日向さんて、そっちの人じゃなかったのか?普通に女にも興味があるってことなのか? 「男優のケツが邪魔だなあ。男の尻なんか見たかねえっつーの」 「…そ、そうなんだ」 「他のチャンネルでも見れるのかな」 リモコンを取ると無造作にパチパチとチャンネルを変えた。色んな男女が色んな体位で激しく揺れてるシーンばかりが流れていた。 俺はだんだん気分が悪くなって、面白がってチャンネルをいじる日向さんからリモコンを取り上げた。 「なにすんだよ」 「俺、帰る」 「なんだよ急に」 「どっかで巨乳の女でも見つけて仕切り直せば?」 「…若島津?」 「ていうかなんで俺、あんたとこんなとこに入ってんだろ」 急に悔しさと情けなさが頂点に達した。 「なんで黙ってついてきちゃったんだろ…」 自分で自分に腹が立つ。なにより今、半泣き状態の自分がもっとも惨めで腹立たしかった。 俺は項垂れたままドアに向かった。情けない顔を見られたくなかったからだ。 ドアノブに手をかけた瞬間、日向さんが飛んできて部屋を出ようとする俺を阻止した。 「帰さねえ。今日はおまえとここに泊まるって決めたんだ」 「なんであんた、いつもそんなふうに強引なわけ?俺の気持ち考えたことある!?」 「いつも考えてる。おまえのこと」 「そうじゃなくて、俺の気持ち!」 「おまえの気持ちは分かってる。…俺のこと好きだろ、おまえ」 「嫌いだよ!今嫌いになった!女の裸見てニヤけてるあんたなんか大っ嫌いだ!!」 叫びながら胸がチクチクした。 「…悪かった」 「……」 「実は俺、キンチョーしてて…」 心なしか日向さんの顔は赤かった。 「照れ隠しっつーか、なんつーか…」 「なんだよ、それ」 「好きだから…照れる」 「……」 「キスしたい」 頬に日向さんの掌が触れた。 いつだって拒めたのに、どんなことをしても拒絶することはできたのに、俺はおとなしく日向さんの唇を受け入れていた。 こないだのキスの時も思ったけど、なんでこの人はこんなにキスが上手いんだろう。普段は動作も荒くてぶっきらぼうなくせに、キスはやたらと丁寧で柔らかい。心の中じゃコンチクショーって思ってるのに、唇から伝わる優しい熱に逆立った気持ちが解されていく。 ──また流されてしまった。 しかしどこでこんなキスを覚えたんだろう、そう思うと急にムカついてきて、俺は日向さんの唇をちょっとだけ噛んだ。 「んっ…痛てえよ」 「まだ納得したわけじゃない」 「おまえホント頑固だな」 わかってんじゃん。そうだよ、俺はもともと頑固なんだ。グダグダと雰囲気に流されてまあいっか~な性格ではないのだ。そうだったハズなのだ… 「あんたのその自信はどっから湧いてくるんだよ?」 「おまえがほんっとーに嫌って思ったら、絶対イヤだろ?それならきっとこないだのキスの時点で俺は蹴り殺されてる」 「……」 「だから多分…おまえも俺を好きなんだ。キスしてもいいくらい」 「……」 「セックスはまだダメか?」 「バカじゃないの…」 憎まれ口を叩きながら、なぜか俺は日向さんの胸に顔を埋めていた。 「うまいこと言って…セックスがやりたいだけだろ?」 「…ある意味その通りかも」 「死んじまえ、バカ」 「おまえとやりたい。つーかおまえとしかやりたくねえ」 「…バカ」 強引な唇が言葉を奪った。 正直、もう降参だった。体が次第に熱くなるのを、自分ではもうどうすることも出来なくなっていた。 俺は求められるまま、日向さんに体を許してしまったのだった。 遮光カーテンの隙間から、筋のような光が射していた。 ハッとなって時計を見ると5時・・間違いなく朝の5時だ。 「やばい!朝練がっ…」 起き上がろうとして、下半身に絡みつく鉛のようなものに動きを遮られた。 日向さんの腕やら足やらがまとわりつき、当の本人は今だ惰眠から目覚めない。軽く頭を小突くと気だるく唸りながら目を開けた。 「シャワー浴びたいんだけど」 「ん…愛してる」 「朝っぱらから何言ってんの?いいからどいてよ」 不機嫌な罵声は低血圧のせいだ。今日に限らず朝の俺は機嫌も態度も最悪で、申し訳ないが制御は不可能なのである。 「ひでえな、それが恋人に対する態度かよ」 ブツクサ言いながら日向さんがのっそりと体を起こした。全裸のその姿に昨夜のことが脳裏に蘇えり、一瞬やばいことになりそうだったが、寮に申告していた帰宅予定時間をすっぽかし朝練にも間に合いそうにないという今の状況が俺を現実に引き戻した。 ただ、この人の口から出た「恋人」という言葉はほんのちょっとだけ俺を甘い気分にさせた。 (恋人、ねえ…) 男同士でおかしな形容だとも思うが、昨夜の行為は明らかに恋人同士そのものだったから、否定はしない。 俺達は恋人同士になったのだ。 「なに二ヤけてんだよ」 そういう日向さんもいやらしい顔でニヤニヤしていた。 恋愛の始まりって、こういう感じなのだろうか。 シャワーに向かう俺の足は、心なしか浮き足立っているような気がした。 2007.4.28 |