冬のひとコマ

【日向SIDE】

 今日も雪。グラウンドは掻き寄せられた雪が氷を作り、整備された自慢の芝も白く覆われ静まり返っていた。
まだ明るい時間に寮に帰ることなんて稀である。夕食の時間までやることもなく、談話室のテーブルに盛られた蜜柑をつまんだり、雑誌をめくったりしていたが、ふとアイツの姿が見当たらないのに気付き、急にそこにいるのがつまらなくなった。

 お互いどちらかと言えば無口な方で、とくに会話が弾むわけでもないが、そばにいると落ち着く、家族のような存在。しかし親兄弟にはない感情がひとつ、俺の胸の内には燻っていた。
それが何なのかはとっくに気付いている。だからと言って何が変化するわけもなく、体の奥に棲みついた病と上手く付き合うように当たらず障らずで行こうと決めていた。ただ空気みたいにアイツの側に居られたらいい。サッカーにおいては絶対的な存在に成り得ても、グラウンドを離れれば俺の価値なんて多分そんなもんだ。
だが俺にとってのアイツは呼吸をするより以上に絶対不可欠な存在なのだ。

 ぶらりと部屋に戻ると若島津はベッドに横たわって雑誌を読んでいた。

「おかえりー」

 どちらか先に部屋にいた方がかける習慣のセリフだ。

「それ、もしかしてあれだろ?」
「え、なに?」
「取材受けてたって反町に聞いたぜ。隠さなくていいだろ。」
「…隠してるわけじゃないけど。あいつ…どこで聞いたんだろ。」

 開いてるページは特集の、日本代表キーパーのインタビュー記事のようだ。俺は雑誌を覗き込む口実で若島津の側に寄った。

「おまえのとこ見せろよ。」
「たいしたこと言ってないから。」
「写真とか載ってるんだろ?」
「載ってない。」
「うそつけ。」
「あ、こないだ夏に出た日向さんの特集、あれ良かったな~」
「話逸らすなよ。」

 雑誌を取り上げようと手を伸ばすが交わされる。

「なんだよ、ヌードでもあるまいし…」
「ヌ…!そんなの撮らせるわけないだろっ!」

 ムキになって体を反した若島津に俺はバランスを崩し、うっかりのしかかる態勢になってしまった。
その場の空気が一変した。これまで決して越えることのなかった結界を侵し、踏み入ってしまった気がした。
胸から下は若島津の体に乗り上げ、かろうじて着いた両肘で互いの顔の距離を保っていた。
けれどこんなにも近く若島津を見詰めるのは初めてで、逆に俺にとってはリアリティがなく、いきなり夢の中に迷い込んだような錯覚に陥った。

「……。」

 若島津の瞳がまっすぐに俺を見詰め返す。
色白の肌はほのかに赤らみ、そのせいか目元は潤んで見えた。形の良い唇は何かを言おうとしているのか薄っすらと開き、白い前歯がチラチラ光った。
無意識だった。次第に距離が縮まり、若島津の吐息が唇に触れた。

『夕食の用意が出来ました。うがい手洗いを済ませ食堂に集まって下さい。』

 天井のスピーカーから降ってきた寮母のおばちゃんの声に、俺は弾かれたように若島津から飛びのいた。


【若島津SIDE】


 目を閉じてしまえばよかったのだろうか。
勘違いでなければ、日向さんの唇は確実に俺に寄せられていた。キスしようとしていた。
あの態勢に動揺してしまい、俺は固まったまま動けなかった。不覚だ。いつかそういうチャンスがきたら、いつだって全てを投げ出す覚悟は出来ていたはずなのに。

 日向さんを追っかけて東邦へ来たのは尊敬と、同じ目標と、ただそれだけと理由付けていつもあの人にくっついて回った。
けれど本当はそれだけじゃない。恋い焦がれていたのだ、日向小次郎という男に。好きで、大好きでどうしようもなくて、でも叶わない想いなのだと諦めていた。

 それが中3の全国大会が終わったあたりから、なんとなく日向さんの態度が変わった。最初は肩のケガに気を遣ってくれているのだと思った。雨に降られても半袖のまま練習を続けていると怒られた。風呂上がり、髪を乾かさないでフラフラしてるとうるさく注意された。意外と神経質だなとその時は思ったが、そうではない。あの人はいつも俺を見ていた。部屋でも教室でもグラウンドでも、俺が振り向くと慌てて目を逸らす。
もしかしたら…もしかするかも。
俺はとんでもない自意識過剰なのかもしれない。馬鹿な勘違い野郎かもしれない。でも頭の中で妄想するのは勝手だ。日向さんも俺のことを好きで、いつかそういうことになる日がきたら俺は全てを受け入れるんだと決めていた。その日のことを何度も妄想してはドキドキして、馬鹿だなと呆れた。
故意にスキンシップをしかけたこともある。遠征帰りのバスで寝たふりをして寄り掛かってみたり、PK戦の時には仲間の成功を祈る口実であの人の手をギュッと握った。
その度にやっぱりこの人のことが好きだと再確認し、そしてやっぱり、もしかするかもと思った。
けれどどんなに可能性が高いといっても男同士である。男女の駆け引きのように上手くはいかない。一歩間違えば竹馬の友を失う結果にもなってしまうのだ。
日向さんを失うのは何より怖かった。
それなら一生片想いのままでも構わない。俺にとって失恋で失うものは恋なんていう一過性の感情とは秤にもかけられない、とてつもなく大きなものなのだ。
だから俺は待つことにした。一生待ちぼうけになるかもしれないが、それでも親友として仲間として、信頼され側にいることを許される今を大事にしようと。

 そんな感情が揺れ動く日々を送っていた俺を、さらに揺さ振る出来事が起きた。
あと10センチだった。日向さんとキス出来たのなら、夕飯なんていらなかったのに。きっと胸が一杯で食べられもしなかったろう。
日向さんの体温が今も体に残っている。下半身が一瞬うごめいたのを知っている。もう頭がパンクしそうだ。

 日向さんはまだ部屋に戻って来ない。夕食の時も風呂の時も避けられていたようだ。今夜二人きりになって何もなかったら、俺は落胆するに違いない。
それでも俺は、待つしかできないのだ。

 

 

 

2010年1月14日~1月16日