プロミスリング

 

 

 チームにとっても俺にとっても命運を分かつ大事な試合。
セリエC1最終戦、俺はアウェーの地でチームメイトに暑苦しいまでの包容を受け優勝杯を手にしていた。これによって俺の所属するレッジアーナはセリエB昇格という最大の目標を成し遂げることができたのだ。
 二十歳を過ぎたころ、鳴り物入りで強豪ユヴェントスに入団するもわずか数ヵ月で戦力外通告を受けた。そしてレンタル移籍という名目でここレッジョエミリアに来てからの約9ヵ月、俺はただがむしゃらだった。
 マイナス地点からのスタート、己の無知に恥をかいたり人種の違いによる屈辱も受けた。孤独には慣れているものの、気持ちが折れそうになったことは一度や二度じゃない。
言葉の壁も大きかった。伝えたいことが伝えられないもどかしさを何度も味わい、殻に閉じこもりそうになったこともある。
 しかし2ヵ月が過ぎようとした頃、相手の言っていることが少しずつではあるが理解できるようになり、突然視野が広がった気がした。見えなかったものが見えるようになった。いや、今までが見ようとしていなかっただけなのかもしれない。
 それまでは独りで戦っているような気でいた。俺は独りきりなのだと。けれど周りの空気を感じられるようになり、俺は数多くの人間に見守られていることを知った。

 過去にも、俺は独りじゃないと気付かせてくれたチームメイトがいたことを思い出した。かけがえのない仲間達。仲間を信じることの大切さを教えてくれた。
 それからの俺は変わった。ガチガチだった鎧を脱ぎ棄て、自らチームに溶け込もうと努力した。日本人がと揶揄する声も時々耳に入ったが、そんな奴らはサッカーの実力で捩じ伏せた。
 そうして9ヵ月をかけ、俺は誰もが認めるストライカーとしてワントップを任せられるまでに登り詰めたのだった。

 ロッカールームではシャンペンシャワーの嵐だった。
長い低迷期を経てのB昇格、選手それぞれが背負っているものも半端じゃない。今期活躍できなければ解雇を言い渡されている選手や、今年も駄目なら第二の人生を踏み出そうと決意をしていた選手もいる。それぞれの思いで歓喜の涙を浮かべ、また豪快な笑顔を浮かべていた。
 そして俺はもうひとつ、栄誉な冠を手にしていた。今期得点王である。C1と言えどかつてはセリエAでプレイしたこともあるような猛者も入り混じるこのリーグ内で最もゴールを揺らした選手として表彰を受けたのだ。
弛まぬ努力で積み上げきた結果だと日本のサッカー関係者は言うだろう。
 けどこれは単なる「結果」ではない。俺は虎視眈々と狙っていたのだ。
この得点王というタイトルを。

 ほんの一週間ほど前。俺は思いがけない来客を迎えて町中のホテルにいた。
相手は若島津。幼馴染でかつての戦友、そして今では大切な恋人である。
 若島津とそういう関係になったのは、俺がイタリアに渡る直前のことだった。
 翌日に出国を控え都内のホテルに宿泊していた俺の元にあいつからの電話が鳴った。俺は会うのを躊躇った。意気揚揚とイタリアに向かう覚悟を決めた俺だったが、唯一心を残していたこと。
 それは若島津への思いだった。単身外国へ渡ることへの不安よりも、若島津と遠く離れてしまう不安の方が俺にとっては遥かに大きかったのだ。だからなおさらあいつの顔を見てしまうと決心が鈍るような気がした。
 その不安は明らかに恋愛感情からくるものだということはとっくの昔に気付いていた。若島津と出会ってからこれまで何度となく別れを予感させる出来事があった。
それは時の流れに生ずる自然なことだったり、俺の不徳が招いたことだったり。その度に俺は胸が締め付けられるような寂しさと、わけの分からない苛立ちを感じて心が荒れた。
 その原因が分かった時、俺は三日三晩寝られなかった。俺にまともな性癖を与えてくれなかった親や先祖を恨んだりもした。若島津を無下に避けたこともあった。
 だがそんなことで、あいつの存在が俺の中で揺らぐことはなかった。
 気持ちを自覚したからといってどうすることもできない。日に日に大きくなる思いを持て余しながら俺は耐えた。親友として、仲間として、一生あいつを見守っていこうと心に決めた。

 その若島津が、いざ出陣という時に俺の前に現れたのだ。
ホテルの部屋に訪ねてきたあいつは、ドアに背中を張り付けられたように立ちすくんでなかなか奥へ入ってこようとしなかった。その様子はただの見送りではないように思えた。

「急に来てごめん」

ようやく一言、そしてまた黙り込む。

「いや、嬉しいよ。行く前に会えて、よかった」

素直な気持ちでそう言えた。

「俺…ごめん。ごめん日向さん…俺…」

 顔を上げた若島津は涙ぐんでいた。俺はその瞬間、体がカッと熱くなり居ても立ってもいられなくなって若島津を抱きしめていた。同時に若島津の両腕は俺の背中を締め付けた。

「俺…俺…」
「若島津……俺を、待っててくれるか…あん時みたいに…また、おまえの元に帰ってきてもいいか?」
「俺…待っててもいいの…?あんたのこと、待ってても…」
「好きだ…若島津…おまえが好きだ…!」
「日向さん…俺も…俺も…」

 俺達は同じ気持ちでいたのだ。何年も何年も、同じ気持ちを抱え互いを見つめ合っていた。そうと分かって俺達を遮るものはもう何もなかった。当然のように求め合った。
 生まれて初めて他人と唇を合わせた。その相手が若島津だという事実が俺を幸せの絶頂に突き上げた。一時でも離すのが惜しいというように口付けながらベッドへとなだれ、体中をまさぐり、互いの高まりを感じ合って興奮した。若島津とこんなふうに触れ合える日がくるなんて夢のようだった。
 ただ、最後の行為までは行くことができなかった。
こればかりは相当の勇気と覚悟がいる。もちろん一つになりたい、繋がりたいという欲求はあったが、ちゃんとした知識や準備もなく失敗してしまい、後々トラウマにでもなったら厄介だ。何より若島津の体を傷付けたくはなかった。
 若島津は何度もごめんと謝ったが、これは二人で決めたことだった。
俺達は朝まで身を寄せ合い、時に触れ合いながら束の間の時を過ごした。

 イタリアへ渡ってから、俺の若島津への思いはますます燃え上がった。東邦時代、あいつを思いながらも平然と過ごしていたのが嘘のように若島津に恋い焦がれた。
 たった2日のオフにあいつに会うため帰国し、ゼロ泊でトンボ帰りしたこともある。
若島津もリーグ戦の合間、わずかな休暇を使い何度か俺に会いに来てくれた。物理的な距離を埋めるため、そして二人の関係を育むために俺達は努力を惜しまなかった。
 しかし度重なる逢瀬を経ても、性的な行為の進展にはなかなか至らなかった。
手や口で時間をかけ申し分のない愛撫をすれば若島津は充分に蕩ける。そのタイミングで後ろの方に触れるがそこはまだ駄目だとストップをかけられる。
俺なりに男同士のセックスについて知識を蓄え、必需品などの準備も万端なのに、肝心の若島津の心の準備ができないままなのだ。

 そんなことのくり返しで時は流れ、一週間前、俺達はレッジョの町の古びたホテルで逢瀬に及んでいた。
 若島津と会うのは久しぶりだった。俺を始め海外組は五輪予選の代表には召集されなかったのと、日本では代表試合の過密なスケジュールに加えリーグ戦、ナビスコ杯、天皇杯と、若島津も多忙を極めていた。そろそろ所属チームの合宿なども始まる頃だろう。

「こっちのリーグ戦が終わるまでは会いに来ないって言ってたろ。どうした?心境の変化か?」
「噂を聞いたんだ。あんたが…こっちで日本人の女の子と付き合ってるって」
「…なんだそれ」
「もし本当なら殴ってやろうと思って来た。でも…あんたの顔見たら…そんなことどうでもよくなった」
「バカヤロ…俺がおまえを裏切るわけねえだろ?」
「うん…そうだよね。信じてる」
「若島津…」
「口実が欲しかっただけかもしれない。すごく、あんたに会いたくて…」

 若島津は飢えた猫のように体を擦り付け濃厚なキスを仕掛けてきた。縺れながらすぐさまベッドに沈み込む。一週間後の天王山に向けてモチベーションを高めなければならない時、だが目の前で体を火照らせた若島津をなにもせずに帰せるほど俺は悟りを開いてはいなかった。
 下半身はあっという間に熱を帯び、若島津を欲しがり暴れだしていた。
 若島津も今日はいつも以上に興奮していた。服を剥いでいくとすでに感じる部分すべてが愛撫を求め張りつめている。ちょっとキツめに触れればはち切れてしまいそうだ。
 今日はいけるかもしれない。
頭の片隅で俺は期待した。体中を舐め回しながら俺自身を若島津の腹に擦り付け粘液でぬるぬるにした。淫らに汚された体はより興奮を煽る。若島津のものからも滾々と蜜が溢れじっとりと陰毛を濡らしていった。その様子に今日こそ俺達はひとつになれると確信し、興奮は最高潮に達した。
 陰嚢を揉みしだきながらゆっくりと後ろの方へと指を這わす。中指が小さな蕾へと辿り着いた時、俺の右頬に衝撃が走った。

 さっきまでの甘く淫猥なムードは一変し、俺達は激しい剣幕で口論していた。
 まだ全てを受け入れることに踏ん切りが付かないと訴える若島津に対し、そろそろ我慢の限界を迎えていた俺は逆ギレ寸前だった。それでもなんとか結ばれたい一心で口説き落とそうと試みる。しかし潔癖な若島津にとっては、不浄な部分を晒しそこに触れられるという行為がどうしても受け入れられないのだ。

「往生際が悪いって自分でも分かってる…でも…もう少し覚悟が出来るまで待って欲しい」
「…愛してるんだ。おまえが欲しくてたまらない」
「俺だって…」

 若島津は枕の下に手を入れ、何かを探り出した。

「今日こそはって…」

 俺の手を取って手の中にあるものを渡す。くっきりとリング状のシルエットが浮かび上がった医療品のような小さなパック。それは言わずと知れたコンドームだった。

「おまえ…」
「俺だってあんたが欲しい…そう思って会いに来た。それなのに…情けない」
「若島津…」
「こんなんじゃ、あんたが他いっちゃっても仕方ないよな」
「馬鹿野郎!」

 俺は若島津を力一杯抱きしめた。

「他なんか目に入らねえよっ。俺がどんだけおまえを好きか知らねえだろ!好きで好きでしょうがねえからこんな必死で口説いてんじゃねえか!」
「日向さん…」
「条件をくれ。おまえが観念できるくらいの上等な奴。どんなにハードル高くても俺頑張るから。おまえが納得して俺を受け入れてくれるなら、死ぬ気でクリアしてみせる」
「そんな…」
「遠慮なく言ってくれ」


 そうして出された条件。それはレッジョのリーグ優勝、セリエB昇格、そしてリーグ得点王のタイトルだった。そんなんでいいのかと拍子抜けするくらい、その時点ではほぼ決まったも同然のものばかりだった。

「日向さんが成し遂げたことを祝福しないわけにはいかないからね。これなら尻込みなんてできないだろ?」

 若島津はバッグからいつも持ち歩いているサインペンを取り出すと、約束の証拠をコンドームに印した。

『勝ったらね』

 この包みをあける時は勝った時。そう約束して俺達はベッドに沈んだ。


 祝杯は続く。チームメイト達はすでに半裸状態で肩を組み合い、大声で陽気な歌を歌っていた。その喧噪の中、ストッキングに忍ばせた下世話な形をしたプロミスリングをそっと取り出し、俺は遠く日本に思いを馳せていた。

 

 

 

2009年9月11日~9月12日