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妄想日記 9
梅の花がほころび始めた頃だった。
ある出来事が寮内をざわめかせた。一年生が上級生を殴り、3日間の停学処分を喰らったのだ。
その生徒は日頃から品行方正で、とてもそんな騒ぎを起こすようなタイプではなかった。所属しているサッカー部の面々も思いがけない事件にただ動揺するばかりだった。というのも、殴られたのは同サッカー部の三年生だったからだ。
「なあ若島津…いったい何があったんだよ。俺にくらい話してくれてもいいんじゃないの?」
同室の反町はその理由を知りたがったが、彼は決して明かそうとはしなかった。
元より若島津はあまり自分の事をペラペラと喋る質ではない。秘密主義とまではいかないが、たまたまの巡り合わせで同室になったに過ぎないクラスメートに対し親友のように心を開くには、まだ彼にとっては月日が浅かったのだ。
「ホント、たいしたことじゃないんだ。ただ俺が我慢が足りなくて…ごめんな、迷惑かけちまって。」
何度同じ質問をしても、最後は決まってごめんで終わる。心から相談に乗りたいと思い一歩踏み入った質問を繰り返す反町だが、謝られてしまうとそれ以上は聞けずに引き下がるしかないのだった。
密度の濃い毎日を送っていた若島津にとって、その3日間は果てしなく長く感じた。やるべきことを禁じられるのは精神的にも堪える。この東邦寮で寝起きするのは全て、日向と共にグラウンドに立ちボールを追う為だというのに。
当然日向には騒ぎを起こした当日、真っ先に理由は告げずに謝った。部内のいざこざで片付けられた為、サッカー部の活動自体に影響はなかったが、若島津の存在は「日向が連れて来たキーパー」で知られていた。少なくとも日向に対しての上級生の風当たりがキツくなったのも事実だ。
「おまえがぶん殴っちまうんだから、よっぽどのことだ。俺はおまえを信じる。だから誰になんと言われようと気にすんな。」
日向はそれだけ言うと、二度とその一件には触れなかった。
気にならないと言えば嘘になる。しかし日向は若島津の性格をよく知っていた。どんな悩みもいつだって一人で抱え込み、いつの間にか一人で解決してしまう。
東邦を受験した時だって、全部一人で決めて相談なんかひとつもなかった。さすがにその時は一言くらい言ってくれても、とも思ったが、そんな小さな不満は、若島津が自分の元について来てくれたという喜びにあっけなく跳ね退けられた。
口でどうこう言うより、彼の存在ひとつが日向にとっては大きかったのだ。
すでに三年生は引退試合を終えていて、若島津が復帰しても気不味い者同士が顔を合わせることはなかった。残る二年生も若島津には同情的で、謹慎が解けて戻ってからも以前と何ひとつ変わらない空気が彼を救った。
「例のあの人、ここ出るらしいよ。外受験してんだって。なんていうか…まあ、よかったんじゃね?安心して上行けるって話。」
反町の情報に若島津は少しだけ心が軽くなった。人を殴った事実は消えなくても、見たくない顔を見なくて済むのならこれほど有り難いことはない。
若島津はこんなにはっきりと人を嫌ったことは生まれて初めてだった。極めて温厚で、誰にでも平等に接する彼は人間関係で揉めたことなど一度もなかった。とはいえ長い人生、彼はまだ中学一年生である。今後も色々なことが待ち受けているだろう、一筋縄じゃいかないことも沢山あるに違いない。今回のこともその一つ、いい経験だったのだと何度も自分に言い聞かせ消化しようとした。
しかし思うように気分は晴れなかった。それほど頑丈でない自分の心が足手纏いに思え、苛立ちを覚えた。
間もなく進級を控え、部内も新しい体制を整えつつあった。そんな中、日向は新2年生にして満場一致でキャプテンに抜擢された。選手層の厚いこの東邦サッカー部では異例中の異例である。それくらい日向の実力は群を抜いていた。
前キャプテンからの申し送りを受けるため、日向は3年生の校舎を訪れていた。
用を済ませたところで予鈴が鳴り、急いで戻ろうとした時だった。
若島津とトラブった例の先輩を見かけたのだ。
二人の間に何があったのか、ずっと引っ掛かっていた日向は思わず足を止めた。若島津の前では「信じてる」などと格好付けて追及はしなかったものの、謹慎を喰らって落ち込む若島津を見るにつけ本当は腹を立てていた。明らかに傷付いていたのは若島津の方だったからだ。
日向は理由を問い詰める覚悟で歩み寄った。
「たいした騒ぎにはならなかったけどさぁ、まさか殴られるとは思わなかったぜ。空手の段持ちと知ってりゃ手ぇ出さなかったのによ。」
日向は息を飲んだ。相手は携帯で通話中で、その内容は若島津との一件であることは明らかだった。
「前に写メ送ったじゃん。そ!それ、超カワイイだろ?入ってきた時から目ェ付けてたんだけどさぁ、何かっていうと特待生の奴とつるんでてさぁ、そいつ理事のお気に入りだから厄介でさ。」
カワイイ?目を付けていた?
日向は息を潜めて会話の内容に聞き入った。
「外受かったし、もうチョイしたらココ出るしいっか~的なノリで。礼儀正しい奴だからさぁ、チョロイもんよ。俺、センパイだから?最近頑張ってるな~なんてやさしく声掛けたらもう無防備、そしたらソッコー…」
会話は最後まで続けられなかった。
「あいつに何をした!」
「なっ…返せよっ」
日向は携帯電話を奪い取っていた。
「校内じゃ携帯は使用禁止だよな。いいのか?俺を気に入りの"理事"に告げ口するぜ?」
「ま、待てよ…それはマジ勘弁…」
「じゃあチクらねえ代わりに証拠隠滅してやるからよっ…!」
そう言って日向は携帯を真っ二つにへし折った。
「あいつに何したか、吐け。」
「なっ…!」
本来の形状から見る影もなくなった物体を投げ捨てると、日向は茫然とする男の胸ぐらを掴み上げた。
「ス、スキンシップさ。」
「スキンシップ…?」
「可愛い後輩への愛情表現だろ。若島津の奴も最初はまんざらでもないカンジだったのにさぁ、ちょっと下の方に手ェ伸ばしたらいきなり豹変しやがって!アイツ人間凶器だぜ、おまえも気をつけろよ、日向…」
その先を聞く前に、掴んだ胸倉を力任せに壁へと叩き付けた。激しく背中を打ち付けた相手は一瞬息ができず目を白黒させた。
「貴様…喋り過ぎだ…!…二度と!その口でアイツの名前を呼ぶんじゃねえ…っ!」
なぜだか息が切れた。これはひょっとして聞いてはならないことだったのかもしれない。若島津の為にも、そして、自分の為にも。
直接的な表現はなかったものの、話の流れで若島津が何をされたかは容易に想像出来た。サッカー以外無頓着の日向にだって、それくらいの知識はある。
男色傾向の人間に対し差別する気はないが、若島津が汚されたという現実は、少なくとも目の前の男に憎悪の気持ちを呼び起こした。
足元で完全に屍と化した携帯電話を持ち主に向けて蹴飛ばすと、日向はその場から逃げ出すように走り去った。
そして、今聞き知ったことは忘れようと心に決めた。
しかしそれは若島津への同情からではなかった。若島津の体に、あの男の汚らわしい手が触れた事実が、日向はどうしても許せなかった。自分が護ってやれなかったことが悔しくて堪らない。
この憤りは一体何なのか。嫌悪、憎悪、これらの感情には覚えがある。しかし何かそれ以上に日向の胸を圧迫するものがあり、うまくコントロール出来ない。時折暴発しそうなくらい高ぶっては精神を混濁させる。
平常心を取り戻すためには全てを忘れるしかないと、日向は悟ったのだ。
春休みに入り、寮の部屋替えが行われ、若島津と日向は同室となった。
寮でも学校でも、日がな行動を共にしている二人だが、完全にオフとなる空間を共有するのは初めてだった。
「若島津はなかなか難しいよ?」
反町のアドバイスだった。
一年間文字通り寝食を共にしたが、心底打ち解けた気がしないという。だからといって気が合わないという訳でなく、むしろ反町は若島津の人間性に深い興味を持っていた。
「日向さんとなら、あいつも共同生活のコツが掴めるんじゃない?期待してるよん。」
「アイツ、そんなに不器用か?」
「うん…。なんでも自分でやんなきゃと思ってるとこが、かなり不器用。」
「ハハ…なるほどな。」
「あんたも人のこと笑えないけどな。似た者同士、ケンカは勘弁して下さいよ。」
寮内において、日向も「難しい奴」の部類だった。
──似た者同士。
自分と若島津とを繋ぐその言葉に、日向は嬉しいような、こそばゆいような妙な気分に浮かれた。
(何をにやけてんだ。馬鹿か俺は…。)
若島津が停学謹慎を喰らったことも、そろそろ記憶の片隅に寄せられて、日々は何もなかったように回転し始めていた。
決して広くはない部屋に並んだ机と、それらを挟む二つのベッド。
机と机の間には間仕切りのカーテンが備わっていて、僅かながらのプライベート空間はいつでも確保することができる。
しかし日向も若島津も、自ら進んでカーテンを引くことはしなかった。一緒に宿題をしたり、試合に向けての策を練ったり、たまにこっそり仕入れた夜食を分け合って食べたり。二人だけの時間は極々自然で、まるで何年も前からそうしているかのように気持ちが安らぐ。
他人と生活することを窮屈と感じていた数ヶ月前とは、精神的な部分で大きく違っていた。
そうは言っても、中学2年ともなればたまには他人の目を気にすることもある。
ある夜、日向はどうしてもそういう気分になり、かといってわざわざトイレに駆け込むのも億劫で、若島津にカーテンを引いてもいいかと聞いた。
若島津は一瞬の間を置いて、あっとした表情に変わった。
「なんなら耳も塞いどこうか?」
「なに勘繰ってんだよ。ちげぇから。」
無駄にごまかしながら日向はその日初めてカーテンを引いた。
こんなバツの悪い状況でもおかまいなしに熱を持ち続ける自分の体が情けなかった。昔新聞屋でバイトをしていた時、大人達に「下半身に高貴な人格はない」と教えられたことを思い出し、苦笑いした。
薄い布一枚隔てただけの一室で、若島津が聞き耳を立てているかもしれない状況で日向は下着ごとズボンを下げた。
その動きにベッドが小さく軋む。
「日向さん…」
「…なんだ。」
「…いや、いい。邪魔してごめん。」
「気になるだろ。言えよ。」
「…何想像してするのかなと思って。」
「別に…ションベンしたくなったからするってのと変わらねえし。出さねえと寝れなさそうだからよ。」
「そういうもんなの?」
「他人はどうだか知らねえけど。」
「ふぅーん…」
「おまえは…」
言いかけて、日向ははたと口をつぐんだ。例の上級生との一件が脳裏に蘇ったのだ。
性的な話題が進めば、若島津もそのことを思い出さずにはいられないだろう。日向は慌てて「なんでもない」と話を切った。
「そ…。じゃ、もう寝るね。おジャマ様。」
それっきり若島津は静かになった。
一方日向は、脳裏に浮かんだ上級生の顔が頭に纏わり付いて嫌な気分だった。顔と言ってもうろ覚えで、目や鼻、口、それほどはっきりと浮かぶ訳ではない。ただその存在の憎々しさだけが日向の胃の辺りにモヤモヤと渦巻いて、不快感を示していた。
(どの程度触られたんだろうか…)
自分の物を指の腹で摩りながら、日向はあらぬ想像に体を熱くした。
他人に汚されながらも、頬を赤らめ昂ぶる若島津を思い浮かべる。身をよじり、はだけるシャツ。そこには小学生の時に負った事故の古傷が赤く姿を現している。憎っくき手が若島津の中心を追い上げ、その手は滴る液体に濡れていた。
妄想なのか夢なのか、瞼の裏に浮かんでは消える映像が日向の動悸を激しくした。
吐精して我に返った。
そして、憎むべき行為に興奮を覚えてしまった自分を嫌悪した。
忘れると決めたはずだった。
しかし日向の頭の中では日に日に卑猥な妄想が膨らみ、自分でも手に負えないところまで来ていた。
若島津にとっては消し去りたい災難としか言いようのない例の一件が、今や自慰行為の呼び水となり、日向の中で恰好の興奮材料となっていた。
あれ以来、後ろめたさからカーテンを引いてまでとはいかないまでも、度々トイレに篭っては溜まった精を吐き出した。
そして身が軽くなると、決まって自己嫌悪に苦悶するのだ。
自分はなんてうす汚く、浅ましいのだろう。若島津の心の傷を知りながら、追い打ちをかけるように頭の中で汚し続けている。本当にどうしようもない。
何より戸惑ったのは、妄想の中で若島津を追い上げる手が、いつの間にか自分のものへと変化していたことだ。
最初は単に、上級生から悪戯を受ける若島津という、変哲のない日常にもたらされた刺激的な出来事によって、一時的に心と体が乱されているだけだと思っていた。しかし妄想がエスカレートするにつれ、おかしな独占欲のようなものが頭をもたげ始めた。
他の誰かが若島津を辱めるのは許せない。誰よりも彼を大事に思っているのは自分なのだから、彼に触れてもいいのは自分だけなのだと。
もちろん正気な頭で考えれば、そんなことは独りよがりの愚かな妄想だという自覚はある。ただ、一人きりの空間で下半身を熱くする時は決まって無茶な思考が独り歩きしてしまうのだ。なぜそれが若島津なのか、自分でも理解出来ないままに。
朝になり一日が始まれば、心の闇とも言える部分は影を潜め、いつもと変わらない顔で若島津と行動を共にする。日向は、自分は二重人格なのではないかと真剣に悩んだりもした。日の光の下では、若島津は日向にとって大事な幼なじみであり無二の親友で、最も信頼の置ける相棒なのだ。それは絶対的に揺るがない真実であった。
「夕べ現国のアキちゃんが夢に出てきてさぁ…」
休み時間、クラスメートの会話が耳に入ってきた。
アキちゃんとは30代後半の女性教諭のことで、これといって特徴はないが、分かりやすい授業で生徒達からは比較的好かれている。会話に聞き耳を立てると、その秋山教諭が夢の中で迫ってきて淫らな行為に及んでしまい、朝起きたら下着を汚してしまった、という内容だった。
「アキちゃんでイッたのか?スゲエなおまえ。溜まってんじゃね?」
「いやいや、意外と潜在意識ではムラムラきてんのかもよ~?結構アキ先ムチムチしてるっぽいじゃん。あれ、ああ見えてDカップはあるぜ。」
「なんでアキちゃんかなぁ…マジ参るぜ。なんか今朝からまともに顔見れねえしィ。」
「だから、好きなんだって!知らない間に。」
「勘弁しろよ。」
日向にとっては身につまされる話だった。
──知らない間に好き。
ありえないことではないが、それは相手が女だから成立する話だ。性に興味を持ち始めるこの年代において、身近に肉感的な女性がいれば無意識に性の対象に当て嵌めても不思議はない。逆にグラビアアイドルや成人雑誌に手を出すのは現実から目を背けるための工夫と言ってもいい。
実際日向も、寮内を静かに巡回するそのテの雑誌を手にしたことがあった。普通に興味も覚えたし、捲れば興奮もした。
なんだ自分はまともじゃないかと安堵し、手淫にも及んだ。しかし最終的に手を濡らす瞬間は、やはりどうしたものか若島津の淫らな姿が脳裏に浮かぶのだ。実際に目にしたわけでもないシーンが、今や記憶の引き出しにしっかりと仕舞われていて、興奮が最高潮に達すると自動的に現れ日向の行為を後押しした。
親友を汚す自分と、男でも興奮出来てしまう自分。二重の背徳感が日向を追い詰めた。次第に若島津の顔をまともに見れなくなり、態度を自然に振る舞うのにも限界が来ていた。
元はといえば例の上級生に詰め寄り、口を割らせたことが事の発端だった。こんなことになるなら知らなければ良かったと、日向は激しく後悔した。結局、知ってしまったことで何が解決したわけでもない。若島津の傷を軽くしてやるどころか、傷に触れる勇気すらなかった。
そもそも若島津はそれほど傷付いているのだろうか。本当は自分が心配するほど気にもしていないのではないか。
ふとそんなことさえも思ってしまい、そのあまりの心なさに呆れ、日向はずっしりと落ち込んだ。
意識的に若島津とは風呂の時間をずらしているため、日向が部屋に戻るのはいつも消灯ギリギリだった。
部屋の灯りは強制的に落ちるが、デスクライトは一晩中点けていても自由だ。日向が戻るのを待つように、若島津はいつも机に着いて宿題を広げている。
今夜もそんな若島津の後ろ姿を予想しながら重い足取りでドアを開けた。
しかし机には彼の姿はなく、点けっぱなしのデスクライトに照らされ確認出来た若島津の姿は、ベッドに倒れ込むように俯せていた。
「おい、どうかしたのか?具合でも悪いのか?」
いつもとは違う様子に驚いて、日向はそれまでの鬱な気分を忘れベッドに歩み寄った。その時足元に落ちていた雑誌をはずみで蹴飛ばしてしまった。
「あっ…」
「ごめん…それ、日向さんの枕の下からはみ出てたから…勝手に見た。」
「や、これ、今井から回って来たもんで…次おまえに回すつもりだったから。」
かなり際どい成人雑誌だった。しかも日向にとっては性欲を扇るだけ煽り、最終的に自己嫌悪の底に突き落とされる結果となった、苦いアイテムに他ならなかった。一晩だけ世話になり、枕の下に押し込んだまますっかり忘れていたのだ。
「…どうする?カーテン、引くか?」
精一杯気の利いた台詞を言ったつもりだったが、声は嫌みっぽく上擦り、顔は歪んでいた。そんな日向に気付いたのか、若島津は自嘲気味に呟いた。
「まともなんだな、あんたも…。そういうの見て興奮できるんだ。」
皮肉な口調が今の自分を見透かしているようにも聞こえ、日向は胃が落ち込むような疲労感を覚えた。
反論できないまま立ち尽くしていると若島津が続けた。
「俺…俺さ…ダメみたいなんだよな…もしかしたら俺…ダメなのかも…」
日向は黙り込むしかなかった。若島津が何を言っているのか、呟く言葉ひとつひとつに全く意味を見出だせないでいた。
「こういうのって、病院とかで治療すんのかな…。いやだな…こんなんで病院行くの…。」
「病院っておまえ一体…!どこが悪いんだ?分かりやすく説明しろよ!さっきからおまえの話、さっぱり分かんねえしっ…」
病院という言葉はさすがに日向を驚かせ、思わず大きな声で詰め寄った。
「…ダメなんだ…。そういう雑誌見ても、少しも興奮できない…全く反応しない…」
「……え?…?」
「いや、ごめん…こんなことあんたに言ったところでどうしようもない…。ごめん、聞かなかったことにして…。」
若島津はそのままベッドに顔を埋め、黙り込んでしまった。
これまでの付き合いで、一切の弱みを見せたことのなかった若島津が自分に対しこんなにも明け透けな悩みを打ち明けてくるとは。
若島津はいつだって問題があれば全て一人で解決してしまう質だ。手のかからない優等生の彼を、親友でありながら遠くに感じることもしばしばだった。そんな若島津が自分だけに見せた弱々しい姿。いけないと知りつつ嬉しさが込み上げた。
…がしかし、悩みは深刻だ。
「…まあ、ここ座れよ。」
日向はベッドに腰掛け、突っ伏した若島津を呼び寄せた。
床に転がっていた雑誌を拾い上げ、パラパラと捲る。最初に捲った時よりも一層、中身の裸体は色褪せて感じた。本の中の虚構よりも、傍で息づく若島津の方がよっぽど生なまめかしく挑発的だった。
見慣れた寝巻のTシャツになんの変哲もないトレパン。それに彼は男だ。健康な男子が性欲をそそられる要素はどこにもない。けれども着衣の下に隠された体のラインは記憶にしっかりと刻まれていて、妄想の中で見せた淫らな姿と重なりながら日向を刺激した。
若島津はのろのろと起き上がり、日向の隣に胡座をかいた。彼はどんなに気が進まなくても日向の指示や命令には従順だった。
俯いた表情は髪の毛に隠れていたが、反対に白い項が長い髪をかき分け現れた。
ほのかに石鹸だかシャンプーだかの香りが鼻をくすぐる。半袖からすっと伸びる腕はきれいな肌をしていて、発達途上の筋肉が薄く張っている。胡座をかいた足も同様、更に内股は信じられない程に白く透けるような色をしていた。
日向は息を飲んで若島津の四肢を盗み見ていた。見とれていたと言ってもいい。
日向はこう見えても常識人だ。どこまでが許され、どこから先がヤバイのかくらいの判断力はある方だ。しかし真夜中の妄想で散々汚し「オカズ」にしてきた若島津の、そんな無防備な姿を目の当たりにして日向のボーダーラインは揺らぎ始めた。
肩を抱きたい。
触れたい。
キスしたい。
現実と妄想の間で焦点がぶれる。ぼうっとした目でただ若島津を見つめ続けた。
「日向さん…?」
急に黙り込んだ日向を変に思い、若島津が顔を上げた。
心配気に顔を覗き込まれ、日向は夢から覚めたようにハッとなった。
「…ダメなのは俺の方だ…。これじゃ野郎となんも変わんねえじゃねえか…!」
「…野郎…って…?」
「……」
「そっか…」
勘の良い若島津は、最近の日向の態度から、例の一件で何かを知り得たのかもしれないと薄々感じとっていた。しかし確かめる術はなく、明らかにそれまでとは違う空気にひっそりと心を痛めるしかなかった。恐らく男に性的な嫌がらせを受けた自分を蔑視しているのだろう、そう思えば日向の態度の変化にも納得がいく。
若島津の中で、日向は真っすぐで潔癖な男だった。したがって、汚れた自分を受け入れてもらえないのは当然のことだった。若島津は知らず知らずのうちに自分を追い詰めていき、そのストレスが思わぬ形で体の不調となって表れたのだろう。
「すいません…俺に隙があったから…全部俺の責任なんです。なんか…情けない…。」
若島津はうなだれて自分を責めた。
日向に叱責のひとつも受ければ、簡単に立ち直れそうな気がしたのだ。それくらい若島津にとって日向の存在は甚大で、その影響力は精神的な部分をも大きく左右した。
だがしばらくの間日向は無言で、期待通りの反応はなかった。
そのことがより一層若島津を追い詰め、どん底の気分へと落ち込ませた。
「…おまえは悪くねえんだろ…?」
ようやく日向が口を開いた。
しかし後に続く言葉は、若島津が欲した叱責とは掛け離れたものだった。
「拒否ったんだろ?だからぶん殴ったんだろが。それともなんだ…あいつに触られて感じたのか?どこ、どんな風に触られたんだよ…上からか?手ぇ突っ込まれたのか?そん時はどうだったんだ、反応したのかよ。それとも…どっちだ、言えよ…!」
矢継ぎ早の質問攻めに、若島津は瞬きも忘れ日向を見つめた。
一方日向は、関を切ったように確かめたいことが溢れ出し、若島津の気持ちを慮る余裕すらなくしていた。自信なく自らを責める彼に、本当は何か後ろめたい部分があるのではと妙なことを勘繰ってしまい、我慢ならなくなってしまったのだ。
「なんだよそれ…!俺があんな奴に…そんな訳ないだろっ?」
「だったらなんでそんなに謝る!」
「だって…!だってあんた、態度ヘンだったし、俺…あんたに軽蔑されてるのかって思って、不安で…!」
「そんなこと…!」
「俺は…あんたに嫌われたら…ここにいる意味がない…」
ぎゅっと拳を握りしめ、若島津は俯いた。肩が小刻みに震えていた。
「…すまん…悪かった…泣くなよ…」
「…感じてなんかいない…あんな…汚らわしい手で感じるもんか…」
日向は若島津の肩に手を掛けた。左の肩に触れ、ゆっくりと右の肩へと移動させ包み込むように腕を回した。
その動作は、涙する親友を慰める意味合いのものでなく、はっきりと愛情を示していた。
日向は今、その気持ちがなんなのかをようやく理解した。
「俺には…そんな資格はねえ…。」
「……」
「おまえが思うような立派な奴でもねえ。…たぶん、本当の俺を知ったら、おまえが俺を軽蔑する。」
「本当のアンタ…って?…」
「……」
日向は肩に回した腕に力を込めて若島津を抱き寄せた。
「!?」
「考えただけで腹が立つ…おまえの記憶からあの野郎の感触を消し去りてえ…!」
「日向…っ?」
「俺なら…あんないい加減な気持ちでおまえに触れたりしねえ!もっと大事にする!」
「ひゅ…っ!」
日向は両腕で若島津をぎゅっと抱きしめていた。心臓の音だけが早鐘のように耳の中をこだまし、若島津が呟く言葉をも掻き消した。夢や妄想の中で何度も触れ、朝になればアブクのように消えていた体が、今日向の腕の中にあった。幻ではないそのたしかな感触が日向の理性を跳ね飛ばす。
一方若島津は、日向の突飛な行動に驚きつつも、その力強い抱擁に何かが溶かされていくのを感じていた。
若島津はこれまで生きてきた中で、他人との深いスキンシップの経験がない。
家庭でも比較的個人のスペースを広く与えられていたし、友達とふざけて揉み合うような性格でもなかった。こんなにもしっかりと肌を触れ合わせたことは生まれて初めてだった。
例の上級生の時は、触れられはしたものの無意識に体に膜を張ったような感覚だった。決して自分の体温を預けたりはしなかった。それだけは断固自信を持って言える。
だが今は違った。
日向に全身を包まれ、体温を分け合い、それがなんとも言えず心地いい。自分の中で肥大していた心配事が思い過ごしだったと分かり、安堵の気持ちもあるだろう。しかしそれだけとは言えない何か深い思いが、若島津の中でぼんやり形作られようとしていた。
「若島津…。嫌なら、突き飛ばしていいんだぞ?俺だからって遠慮すんなよ。そういうのはかえって傷付く。」
しばらく何の反応もないのが急に不安になり、日向はボソリと呟いた。
「…嫌だったらとっくにそうしてる…と思う…。」
自信なさ気に若島津が言った。
「嫌じゃねえってことか…?」
「…わからない。」
「…触ったら殴るか?」
「さっ…触りたいの?」
「…触りてえ。」
若島津は動揺した。だがそれは日向の言動に対しての動揺ではなく、日向の、喉に絡むような低い声が若島津の背筋を走り抜け、わずかに下腹部が反応したのだ。
「それはちょっと…困る…。」
「やっぱ嫌か。」
「嫌って言うか…こ、困る。」
問答の間にも下半身が熱を増していく。ついさっきまで不能なのではと不安のどん底にいて、そのことを日向に打ち明けたばかりだというのに、例え戯れでもこんな状態になっているところを触れられるのはバツが悪過ぎる。
焦りとは裏腹、熱が上がるにつれ日向の体温や匂いにますます意識が集中する。甘い吐息が聴覚を刺激し、両肩を包み抱く掌がしっとりと肌を湿らす。若島津の五感は日向の一挙一動に研ぎ澄まされた。
「…触りてえ。」
「そんな…」
「若…」
「…ダメ…」
「…嫌か?」
「嫌じゃ…ないけど…ダメ…」
互いになぜだか呼吸が荒くなり、走ってもいないのに息が上がり苦しくなってくる。上気した若島津の顔が妄想の中のそれと重なり、日向を卑猥な気分にさせた。
がっつりと抱き込んでいた両腕を解き、そろそろと胸元へと指を這わせる。
Tシャツの上からでもくっきりと分かるそこは、ピンと立ち上がり期待と興奮を示していた。
ゴクリと日向の喉が鳴った。
「ちょ、ちょっと待ってって…っ!アンタ、そんなに溜まってんの?俺なんか触って何が楽しいんだよ!」
「楽しいんじゃなくて嬉しいんだっ。あと溜まってんのは確かだ。」
「意味分かんないよ。」
「好きな奴に触れられたら、そりゃ嬉しいだろ?おまえはそんな気持ちになったことないのかよ。」
「…えっ…?」
若島津が怯んだ隙をついて、日向は両手首を掴んでベッドに押し倒した。そんな状況に追い込まれてもなお若島津は目を白黒させ、ポカンと口を開いたまま日向を見つめていた。
「隙だらけだぜ?そんなんだからあんな糞野郎にエロいことされんだよ、バカ。」
「な…っ」
さすがに今の言葉にはカチンときた。若島津は手足をバタつかせて日向を押しのけようとしたが、がっちりと手首は捕まれ、更に自分よりも若干体重のある日向はそう簡単には動かない。おまけに下腹のあたりには心当たりのある感触。それはぐいぐいと遠慮のない力で押し付けられて、おかげで気が散って本気で抵抗が出来ない。それどころか熱を持ち始めていた若島津の中心を刺激し、応えるように硬度を増してきた。恥ずかしさのあまり腰を引こうとするも敵わず、仕方なく目を伏せて顔を反らした。
「俺は…ホントどうしようもねえ野郎だ…おまえをこんなふうにすることばっか考えててよ、頭おかしいんだ。変態かもしんねえ。けど…しょうがねえよ、好きな奴がいつだって隣で寝てんだぜ?目の前で服脱いで着替えるし、俺の食いかけのアイスかじったり、揚句にエロ本見て勃起しねえとか相談してきやがる。それって拷問だろ?色々想像しちまうだろが。毎日毎日…もう限界なんだよ。」
「……。」
「好きなんだよ、おまえが…。もう苦しい…なんとかしてくれ。」
「日向…。」
日向は握り絞めていた手首を解放し、両腕を背中に回すと、ゆっくりと息を吐きながら若島津の胸元に顔を埋めた。
そんな日向を、若島津は自然な気持ちで受け止めていた。頭に手を置き、髪の毛を指に絡めたり剥いたり、叱られた子供を慰める母親のように優しく触れた。
「俺も…どうすりゃいいのか分かんない…。俺にとってアンタは特別なんだ。でもそれは、尊敬で…他と比べて別格ってことで…俺の中では今までそう思ってきた。」
「そっか…。」
「そのはずなんだ、けど…。」
「けど?」
「分かんなくなってきた…。」
髪を弄んでいた手が背中へと下りてきて、日向の肩甲骨を指でなぞったり、筋肉に覆われた肋骨を一本ずつ探り出しては指の腹で撫でたりした。
「おい…おまえ分かってやってるだろ…。」
若島津の指が与える擽ったさが背中を走り腰に下りてくる。その都度日向の股間は波打つように変化を訴えた。
その盛り上がる感触を若島津はダイレクトに感じていた。堪えるように大きく息を吸っては切な気に溜息する日向がどうしようもなく愛しい。荒々しい様相でボールを操りながら偉そうに振る舞う日向からは、想像のつかない情けない姿である。
若島津は、ほんの10分前まで死ぬほど悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてきた。いったい何を悩んでいたのか。今の日向を見て、自分をさらけ出すのはそんなに格好悪いことでもないような気がした。
「本当に、俺のことが…?」
「ああ。好きだ。」
「…嬉しいよ。」
「マジでか?」
「素直に、嬉しい。」
日向はムクリと起き上がると、若島津の顔めがけてにじり寄ってきた。
「キスしてもいいか?」
「う…」
いきなりの要求に若島津が返事を渋っていると、日向は有無を言わさず唇を塞いだ。
初めて触れる他人の唇。それも相手は男だ。日向も若島津も、まさか初めてのキスの相手がお互いだとはつい数時間前までは想像もしなかった。そしてこんなにも自然に触れ合えるとも。
最初は唇を突き出して押し付けるように口付けていた日向も、抵抗されないと分かると一旦引いて、角度をつけてから再び唇を沈めた。浮かしては沈め、角度を変えてはふわっと触れて、何度もそれを繰り返した。
「ひゅ…が」
キスの合間に若島津が掠れた声で名前を呼んだ。
「嫌か…?」
「んん…」
首を横に振るのを捕まえるようにまた口付けた。
それは段々と深くなっていき、日向は若島津の唇を割ってするりと舌を入れた。自分の体の一部が若島津の体内に入り込む。熱い口内でうごめく舌を絡ませ合う、まるで擬似セックスのような興奮に頭がクラクラする。
下半身はすでに目一杯張り詰めて、下着を濡らすほどに先走りが溢れていた。
「なあ…触らせてくれよ…。」
「…触って…どうすんだよ…。」
「おまえのイク顔が見たい。」
「変態…。」
「気持ちイィー!って顔が見たい。」
「バカだ…。」
「おまえはこんなバカで変態を追っかけてここにいるんだろが。」
「こんな奴とは思わなかったからな。」
「…嫌いになったか?」
神妙な顔で日向が聞いた。
こんな状況になっても好きか嫌いか気に掛かるのかと、思わず笑みがこぼれた。
「なんだよ、なにが可笑しい?」
「やっぱりアンタ、真っすぐで潔癖な人だな、って…。」
「?」
「嫌いになるわけない、ていうか、なれないよ。アンタは俺にとって特別だからさ…他人だけど自然な存在で、そばに居ると落ち着く。俺の方こそアンタに嫌われたと思った時は、目の前真っ暗だった…生まれて初めて孤独を感じたよ。だから…今は正直嬉しい。なんか…幸せ。」
「若…」
「…いいよ…触って…。」
「マジで?」
日向が乗り出すように顔を覗き込むと、若島津は顔も耳も真っ赤になり、目まで潤んで充血していた。
頭でなんだかんだ理屈をこねても、先程から日向にのしかかられた下半身はどうしようもなく熱く、手に負えなくなっているのが事実だった。好きだの触りたいだの、日向が拙い口説き文句を吐く度にその熱量も増していた。心と体の奥底、自分でもコントロールできない本能が、本当は日向を欲しているのかもしれない。
再び下りてきた日向の唇を受けながら、若島津は体中の細胞が踊るように疼くのを感じた。
唇を離すと、日向は右の掌でゆっくりと若島津の胸を撫でた。ぷつりと浮き上がる乳首を、シャツの上から指の腹を使って刺激する。若島津は恥ずかしさと擽ったさで逃れようと身をよじった。手はするすると臍を通過し、トレパンの中へと差し入れられた。
目で見て確認出来るほどに若島津のそこは盛り上がっており、下着のゴムを押し上げるように屹立したペニスの先端へとたどり着くのに造作はなかった。
そこから溢れた蜜が周囲を濡らし、すでに下着や陰毛はしっとりと湿っていた。日向は指を進め、根元からやんわりと掌で包み込んでみた。
「はぁ…っ」
若島津が掠れた吐息を吐く。
膝を立て、日向の腕にしがみつくと、腰がなまめかしく浮き上がり2、3度揺れた。
何度も夢や妄想の中で触れた若島津のそこを、一刻も早くこの目で見たい。日向は逸る気持ちでもう片方の手をトレパンに掛け、下着ごと引きずり下ろそうと試みた。不器用に動くたび握り込んだペニスも無造作に刺激され、若島津は悩ましい吐息を漏らす羽目になった。
奮闘の末曝された若島津の全貌に、日向の下腹部は痛いくらいに充血した。
「おまえ…ヤバすぎ…。」
「あ…あんまジロジロ見んな…」
「きれいだぜ…」
「…う、そ。」
若島津のそれは日向のとは色も形も異なり、色白の肌の中央で薄紅色につやつやと光っていた。体毛はまだ薄く、色素の薄い毛が水気を帯びて縮れ、縺れるように張り付いていた。全てはまだ成長の途中で、完成型とは言えない幼さが逆に興奮を煽る。
日向は堪らず体を折ってむしゃぶりついた。
「やっ…何す…んっ、アァ…!」
日向の暴挙に驚いた若島津は、解かれた半身を起こして抗議しようとした。だがいまだかつて経験のない、その衝撃の感触が、一瞬にして抵抗を捩伏せ力を奪った。
「やだ…やだ…っ」
羞恥が先立ち、素直に快楽を示すのは抵抗がある。日向の施しによって体はすでに気持ち良さに溺れつつありながら、拒否の譫言を繰り返した。
先端から絶え間無く溢れ出る先走りを、チュウチュウと音を立てながら舐め取っていく。一方右手は休むことなく竿を扱き上げ、確実に絶頂への手応えを感じていた。
「おまえ…すげえ勃ちまくってるぜ…どこが病気だよ。」
「やだ…あ…あ…」
「マジ、エロすぎ…やべェ…」
血流はすでに飽和寸前で、すっかり紅色に染まった若島津自身を思い切り根元まで口に含み、容赦なくじゅっと吸い上げた。
若島津は大きく背中をしならせると、両手を頭上に伸ばし枕カバーを掴んだ。それはミシリと音を立て、今にも裂けようとしていた。
「もう…だめ…出る…イク…んっ」
ハアハアと息を荒くして若島津が訴えた。
日向はペニスを口から解放すると再び右手で握り直した。そして伸び上がるように若島津へ乗り上げ、顔を寄せた。
手の腹で数度擦り上げると、ビュッという振動と共に若島津は大量の精液を吐き出し絶頂を迎えた。
しっとりと汗ばんだ頬に張り付いた髪を、指に絡めてそっと掃ってみるが反応はない。瞳は虚ろに天井を見つめ、目元は涙が滲んで赤らんでいた。
薄く開いた唇はひたすら浅い呼吸を繰り返す。
「若島津…。」
日向はうっとりと名前を呼んだ。すると若島津の瞳がゆっくりと動いて日向を捉えた。
「…変態…スケベ野郎…」
「…んだな。」
「…ティッシュ。」
「…はいよ。」
日向はベッドから立ち上がると、机に備わった本棚の上に手を伸ばしティッシュ箱を取った。数枚引き抜くと若島津の腹にふわりと乗せ、飛び散った精液を丁寧に拭った。
「心配するこたなかったじゃねえか。ちゃーんと、ほら。」
「もう、いいって…言わなくて。」
「エロかったぜ…おまえ。」
日向はイク瞬間の若島津の表情を見逃さなかった。ヒクヒクと体を震わせながら絶頂を見るその目は恍惚としていて、完全に快楽に支配されていた。それは普段の真面目で清潔な若島津からは想像もできない淫乱な顔だった。
思い出してニヤついていると勢いよく枕が飛んできた。
「ってー!そんなに怒ることねえだろが。」
「何終わったみたいな顔してんだよ。俺だけ恥ずかしいことされておしまいかよ。それ、納得いかない。」
「えっ?…て?」
「…アンタ、溜まってんだろ?」
「そ、そりゃあ…。でもまあ、俺はなんとか…。おまえのエロい顔思い出しながらどんだけでも…、ハハ。」
「……。」
「…俺が一方的にアレな訳だしよ。これ以上おまえに何か求めたらバチが当たっちまう。」
「…馬鹿。」
「ああ、バカだよなぁ俺。一人勝手におまえにサカって、迷惑な話だ。ホント俺って奴は…」
言い切らないうちに、ものすごい力が腕を掴んで日向はあっけなくベッドにひっくり返った。ぐるりと視界が回転して、天井の手前では若島津が髪を垂らして覗き込んでいた。
「なっ…?」
「俺には触らせてもくれないのかよ。」
「へ?」
「俺も見たい…アンタの気持ちイィーって顔…。そんで、どんだけ恥ずかしいか知れ。」
「わ、若…っ」
若島津は容赦なく日向のジャージに手をかけ引きずり下ろした。
風呂場で何度も見かけたことのある部位だが、形状を変え現れたそれは、自分のものとは比較にならない圧倒的なフォルムをしていて、思わず若島津は息を飲んだ。
「可愛いげのない奴だろ…。言うこと聞かなくて、ほんと参るぜ。特におまえのこと考えてる時は…。」
「……。」
「どうすんだ?そうやって見つめられてもどうにもなんねえ。俺もそろそろ限界だし、触る気ねえんだったら便所行かしてくれ。」
日向は上半身を起こすととジャージを引き上げようとした。すると若島津はその手を掴んで再び日向をベッドに組み敷いた。
「さ…触ってもいいの?」
「…っ」
「それとも、自分でする方が…」
「いや!いい!てか、あの、さ…触って欲しい…」
今度は日向が耳まで真っ赤になった。
若島津の手がそろりと近付くと、赤紫の物体は待ちきれないとばかりにこうべを震わせ、より一層膨張度を増した。
ずっしりとした手応えは自分のものとは明らかに異なり、何か未知の生き物に触れている感覚だ。
裏筋がぷくりと浮き立ち、呼吸をするように脈々と波打つ。先端からはトロトロと液体が溢れ、若島津の掌をじっとりと濡らした。
「あ、あ…若…んっ…」
腰をうねらせ、日向が喘いだ。いつか見た洋画の濡れ場のような音声に、若島津の吐息も熱くなる。日向であって、日向でないような甘い声。掌を動かすごとに漏れるその声は若島津の五感全てに働きかけ、興奮を煽った。
「ふっ…、さっきまでの勢いはどうしたよ。」
「別に…。喋りかけたら邪魔かと思って、遠慮してるだけだ。」
「いいぜ、なんか喋れよ…おまえの声聞きたい。」
そう言って日向は目を閉じた。
本当は日向に触れているだけで呼吸が乱れ、声が上擦りそうな自分が恥ずかしい。少なからず興奮してしまっていることを知られるのがシャクで黙り込んでいただけだ。
しかし、全てをさらけ出し身を委ねる日向を見ていると、自分の小さな自尊心が逆に馬鹿らしく思えた。
「あのさ、なんで…、俺なわけ?」
「んー…、俺にも分かんねえ…けど、おまえじゃねえと、ダメなことだけは、分かる。」
「…男がいいの?」
「いや、それはない。」
「俺、男だけど。」
「男とか女とか、そういうんじゃなくて、おまえがいいんだ。おまえが、たまたま男だったってだけだ。」
「…そっか…。」
「…おまえ、俺のを握ってて、気色悪くねえか?」
「…結構平気。」
「そっか…へへ。よかった。嫌われちゃいねえってことだな。」
「…嘘。」
「えっ…」
「ほんとは…平気じゃない…。」
「そ…そりゃそうだよな…。男のチンコ触って楽しいわけねえか。俺みてえな変態と一緒にして悪かったな…」
「違って…そうじゃなくて…」
若島津は堪らずに日向の太股を跨いで股間を擦り付けた。そこはもうパンパンに膨れ上がり、つい先程派手に射精したにも関わらず、物欲しそうに律動を始めていた。
「若島津…え?」
「あんたに触れて興奮するなんて…俺も立派な変態だ。」
「お、おい…」
若島津は日向のペニスを扱きながら、密着した腰をしどけなく揺らした。
「俺も…あんたじゃないとダメみたいだ…。だって、こんなに…。」
「若…」
「…エロ本見ても全然ダメだったのに…、んっ…、変過ぎて、笑える…」
「わ…若島津…」
「お、俺も…日向のことが好きなのかなあ…っ…解らないんだ…アンタは特別で…俺にとって特別すぎて…もうどうすればいいか解らない。」
押し寄せる快楽の波に息を乱しながら、若島津は苦悩を吐露した。
出会ってからこれまで、友情と信じて疑わなかった思いが覆されるかもしれないという喪失感。しかしそれとは対照的に素直に悦ぶ身体がそこにある。どちらの自分を選べばよいのか戸惑いは増すばかりだった。
日向は手を伸ばすと、若島津の眉間を指で撫でた。
「そんな顔すんな…。悪かったな、おまえをそんなに悩ませちまって…。俺は、じっくり考える前に体が動いちまう性分だからよ。好きって気付いたらもう止められなくってよ。おまえを困らせるつもりはなかったんだけど…ごめんな。」
「……」
「こんなことになっちまって、アレかもしんねえけど…勝手なことは分かってるけど…おまえとは、これからもずっとダチでいたい。一緒にサッカーしてえ。ハタチになったら一緒に酒飲んで、結婚したら家族ぐるみで…そんでオッサンになってもずっと…。だから、頼むから答えは出すな。」
若島津の目から涙がこぼれた。
「そんな先の事、考えたこともなかった…。今のアンタについていくので精一杯で…俺は…」
「なに泣いてんだよ…。俺はさ、早く大人にならねえとアレだから。早く独立してお袋安心させて、弟達、一人前にしてやんねえと…だろ?だから今もちゃんと地に足着けて、無駄な時間は過ごせねえ。そんで、おまえとの時間も、後悔のねえよう少しでも多く記憶に刻み込まねえと…。…ってなんか俺、勝手な事言ってんなあ…。」
「……」
「スケベの変態が何カッコ付けてやがるって顔だな。」
若島津の頬を軽くつねって日向は苦笑した。
その手を、若島津は包むように握り締めた。そしてゆっくりと口元へとずらすと手の甲に口付けた。日向の手は熱く、その熱がジワリと唇に伝わって若島津を更に泣きたい気分にさせた。
最初に日向がそうしたように、若島津は日向の胸に顔を埋め背中に手を回した。
「…俺をこんなふうにしといて、将来まともに結婚する気かよ。勝手な奴だな。」
「そ…それは…」
「俺は、今だけなのか…?」
「い、いや、ちげえよ!」
「大事にするって、言った…」
「あ、ああ…!言った!」
若島津は顔を上げ、日向を見つめた。次は何と言って責められるのかと、身構えるように目を見開く様が幼い子供のようだ。
若島津は伸び上がると、真一文字に閉じられた唇にキスをした。それは生まれて初めての衝動だった。
やがて日向の腕が背中を包み、力強く抱き締められていた。
唇を貪り、互いの体を掻き抱く。絡め合った体が回転して今度は日向が上に乗り上げる形になった。狭くて窮屈なベッドは二人が動く度にギシギシと鳴る。隣の部屋に聞こえやしないかなどとチラチラ頭を過ぎったが、夢中でキスを交わすうちにどうでもよくなった。
さっきまではやたら饒舌だった日向も、いつもの無口でぶっきらぼうに戻り、荒々しく若島津の唇を貪り続けた。舌を絡ませ何度も何度も口付ける。若島津もそれに応えるよう懸命に絡み付いた。自分の中に、こんなにも人を欲する情熱が潜んでいたのかと、日向の舌を追いながら胸が熱くなる。
若島津は今、はっきりと自覚していた。
「俺、も…好き…日向…っ」
キスの合間、途切れ途切れに若島津が囁いた。
その告白に日向は動きを止めた。
「若…」
「答え…。言っちゃダメだった…?」
「…いや…いや!…めちゃくちゃ嬉しい…!」
再び日向は噛み付くようにキスをした。唇から頬から首筋から余すとこなく口付け、両手は体中をまさぐる。Tシャツの中に突っ込み乳首を撫で回すと若島津の体が大きく撥ねた。その反応に気を良くした日向は、シャツをたくしあげると現れたピンク色の粒に吸い付いた。
「あっ…ァ…」
チュウチュウと遠慮のない力で吸い上げながら手は脇腹を撫で下ろし、トレパンと下着をわし掴んで引き下げた。ひんやりとした尻を揉みしだくと、若島津が腰をくねらせながら背中にしがみついた。
「日向…日向…ぁ」
「若…っ…もう、ガマン…できね…ぇ!」
引き裂かんばかりの勢いで衣服を脱ぎ捨て全裸になると、二人は縺れるようにシーツの波に沈んでいった。
いったいどう始末をすればよいものか、若島津のベッドは悲惨な状況だった。
シーツや布団は勿論、壁や床にまで絶頂に放った飛沫が所々にシミを作り、枕などは床に投げ出され散乱したティッシュのゴミにまみれていた。
そして日向と若島津は、剥がれかけたシーツの中、汗と体液でぬるつく体のまま力尽きていた。
「…平気か?」
「…平気なわけないだろ…こんなことになるなんて…」
「…悪かった…なんか、もう止まんなくてよ…」
若島津は肉体的にかなりのダメージを被っていた。
要するに二人は行くところまで行ってしまったのだ。
夜な夜な頭の中で妄想し続けていたことを日向はぶっつけ本番実践した。薄ぼんやりとしか知識のなかった男同士のセックスを、若島津相手に実行したのである。
当然若島津の衝撃は計り知れない。本来外から受け入れるようには出来ていない部分を無理矢理こじ開けられ、入ろうはずもないモノを突き入れられたわけだ。いくらつい先程「好き」だと自覚した相手とはいえ、血眼になり猛然と精器を突き立ててくる日向を心底恐ろしいと思った。一瞬ではあるが、最終的にはこの行為のみが目的だったのではないかと疑ってしまうほどだった。
しかし、ありえない程の激痛の果てに深く繋がり合ったその時、日向が声なく泣いたのだ。その瞬間、若島津は痛みを忘れ、日向の全てを愛しいと感じた。
「…後悔してるか?」
恐る恐る日向が聞いた。
「どうして?」
「いや…なんとなく」
「後悔するくらいなら、最初っから許さないし…。それに…、俺、愛されてんだよね?」
若島津は甘えるような目をして小さく笑った。激し過ぎる求愛に退いてしまったのではと不安になっていた日向だが、その笑顔に全て許された気がした。
嬉しさのあまり、グダグダの体を無理矢理起こすと若島津の上にダイブする。
「ちょっ…もう無理!」
「分かってるって…けど、もうちょいこのまま…」
「……」
「あ、愛してるぞ。」
「なんでそこでドモるの。」
「照れくさいだろ。こういうの、言い慣れねえし。」
「何度も聞いた気がするけど…」
「…そうだったか?」
行為の最中はとにかく必死で、何を口走ったかなど実のところ殆ど記憶がない。そんなに何度もクサイ台詞を吐いたのかと、日向は急に恥ずかしくなり赤面した。
「…俺達、これからどうなるんだろ。」
ふいに若島津が呟いた。
「このことで何かが変わるなら…俺は嫌だな…。」
「安心しろ。なんも変わりゃしねえ……いや、おまえはもう俺のモンだからよ、他の奴らに触らせたらマジで怒る!」
「……」
「こういうのも嫌か?」
日向は強気にニヤリと笑った。
「触らせるわけないだろ!俺を誰だと思ってる。」
「若島津。」
「……。」
「俺は日向で、おまえは若島津だ。なんも変わらねえ。」
「…うん。」
互いの存在を確かめ合うように、二人は腕を回し固く抱きしめ合った。
それから幾年もの年月が流れてもその力が緩むことはなく、二人はその夜の衝動が一時の熱病ではなかったことを知るのだった。
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