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妄想日記 6
【若島津SIDE】
高等部に上がって3回目の練習試合、なんとか今日も無失点に終わることができた。
中学と比べ試合時間も若干長くなり、最初のうちはペース配分が掴めなかったりもしたが、今日は最後まで集中を切らすことなくまずまずの出来だった。
そんな緊張の糸が緩んだのか、帰りのマイクロバスで珍しく俺は眠りに落ちた。
隣では日向さんが試合を振り返りながらあれこれと喋っていた。相槌を打ちながら、時には意見したりしながら聞いていたが、車がトンネルに入った途端、オレンジ色の灯りが急な眠気を誘ったのだ。
何より、疲れた頭と体に日向さんの声が心地よかった。
慣れない人間に対しては刺々しくも聞こえる低音だが、親しんだ俺の耳には円やかに感じられる。
凭れたシートを伝って、背中から体内に浸透するように響く声。
まるで豆電球ひとつの部屋で子守唄でも聞いているような不思議な感覚に包まれた。
意識が飛んだのはほんの数秒のような気もするが、車内の雑音が一瞬消えて、日向さんの「な?若島津」という静かな語りかけだけが脳を振動させた。
返事を返そうと口を開こうとするが、伝達がうまくいかない。
頭の中でジタバタしていると、日向さんが俺の顔を覗き込む気配がした。
「なんだよ、寝ちまったのか。」
ちょっと不機嫌な声。
俺だって残念だけど、今はすごく心地がいいんだ。試合後のアンタとのサッカー話、すごく好きなんだけど。
そう思いながらダウンした体を動かすことができず、俺の頭はバスが揺れるたびに重力に従って傾いていった。
するとふいに、こめかみのあたりを押さえられたかと思うと、頭がカクンと反対に傾いた。
左の頬が何かに支えられる。日向さんの肩だった。
「あっち行くな。」
拗ねたような小さな声だった。
ふわりと、芝と汗の匂いが鼻を掠める。それが自分のニオイなのかどうかもわからないくらい、俺はぴったりと日向さんにくっついていて、なんだかドギマギした。
「なあ、若島津…」
今度は声が出そうな気がしたけど、喋りだすタイミングが掴めず眠ったフリをした。
「なあって…」
「……」
「キスすっぞ?」
…え?
思わず俺は目を開けてしまった。
しかし日向さんはそんなことには気付かず、膝の上に無造作に投げ出していた俺の左手にそっと指を絡めてきたのだ。
「……」
すでに俺の脳みそは完全に目覚めていた。
体を弾く反射神経も爪の先まで行き渡り、準備万端整っていた。
けれど、遠慮がちに触れた日向さんの指を振り払おうという気にはならなかった。
「なあ、若島津…俺…」
「日向!今日の西高のDF、あれ明和東中出身らしいぜ。おまえ知ってっか?」
突然、前方席の先輩が振り向いて喋りかけてきた。
弾かれたように手を離すと、日向さんは何事もなかったように向こうの会話に加わっていた。
それから寮に着くまでの30分余りを、俺は眠ったフリのまま日向さんの肩に凭れ続けるのだった。
【日向SIDE】
巷はすっかり夏休みである。
補習に通う生徒や、インターハイに出場の決まったクラブの部員以外は殆ど学校へは寄り付かない。
人気もまばらの通学路を賑わすのはもっぱら寮生の多いサッカー部くらいだ。
夏のスケジュールは簡素で、午前3時間と午後3時間の練習時間を除けばほぼフリーだ。だからといって、この暑い中こってり扱かれた後に遊びに出かけようなんて奴は、よっぽど彼女とラブラブか寮での人間関係に悩んでいるかのどっちかである。
大抵のメンバーは余った時間を買い食いでごくつぶし、ダラダラとテレビを見、就寝時間まで勉強するでもなくヒマを持て余す。
談話室では漫画週刊誌が積み上げられ、無言でぐるぐると回し読む。
近頃の青年誌は漫画よりもグラビアが主流で、ムチムチとした巨乳アイドルの水着写真に話題は集中した。
どのオッパイが好みだとか、尻の形はこれがいいだとか、やっぱり顔が可愛いのが一番とか、上から目線で言いたい放題だ。
性欲旺盛の高校男は妄想力も半端なく、ついには雑誌の中のアイドルと想像の中でエッチまでしてしまう。
「どういう声だと思う?」
「こういう幼顔はアニメ声率たけーな」
「あー、オレそういうの萌え~」
「俺はあんましアンアン言われると引くな」
「どっちかっつーと、もうちょい大人のオンナが好みだなー」
風呂上がりになんとなく流れで談話室に立ち寄り、買い置きのドリンクを飲んでいたらそんな会話が耳に入ってきた。
奴らの半分以上はまだ女と付き合った経験もないだろう。なにしろサッカーサッカーで出会う場もない生活なのだ。要領のいい奴は他校の友人づてに合コンなんかに顔を出しては密かに遊んだりもしているらしいが、そんな奴は必ずといっていい程レギュラー争いから脱落していく。
他のことに気が削がれてしまったらついて行けない、それくらいシビアで、精神的な厳しさを求められるのが東邦サッカー部なのだ。
自称硬派の俺だが、性的欲求が全く無いというわけではない。
好きな相手と裸で抱き合うことができたらどんなにいいだろうと考えたりもする。
しかし俺の場合、一般的な猥談で盛り上がる他の奴らとは、どうしても交わることのできない事情があった。
世界一可愛いと思える奴がほんの傍にいるのに、それが誰なのか言うことも出来ない。
もちろんイヤラシイ想像くらいはする。談話室で妄想してる奴らなんかが及びもつかないような酷いことが、毎晩のように俺の頭の中で行なわれている。
その想像をオカズにいったいどれだけの夜、自らを慰めたことか‥。
想像とはいえ散々そいつを汚した朝、本人と顔を合わせることの気マズさったらこの上ない。そんなことを知る由もないそいつは、屈託のない顔で笑顔するのだ。
「日向さん、それ、一口くれる?」
現実の猥談とリンクしながら、俺の妄想がスパークしかけた時、いきなりその声の主が現れた。
風呂上がりの若島津は、髪を拭きながらの無防備な姿で立っていた。
俺は力いっぱい自然に振り向いて、普段通りの無愛想でペットボトルを差出した。
「サンキュ」
ボトルを傾け、露になった喉元がエロく波打つ。
なんてことのない仕種のひとつひとつが、うしろめたい俺を責め立てる。
「よお、若島津。おまえはさあ、どういうのがいい?」
雑誌を囲む猥談組から思いがけない飛び火が降ってきた
「なんの話?」
「ほら、アレよ。アノ最中の声」
「激しいのと、グッと耐えるカンジと、どっちが好み?」
どういう話してんだ、といった視線でヤツは俺を見た。
「いや、俺はノータッチ。加わってねえから」
言い訳がましく空を切る掌が、我ながら情けなかった。
こういった下世話な話題を、若島津はあまり好まない。他人が勝手に話してる分には「どうぞご自由に」なのだが、自分に振られることを非常に嫌う。
自身の性的な部分を他人の前で晒すのは嫌なのだろう。生れ育った家庭環境を見れば納得はいく。あの親父さんから、風呂の中で男同士の性教育、なんてまずありえないだろうし。
そんな若島津を皆も知っているから、冷やかし半分で話を振ったのだ。
案の定若島津は全くノリの悪い表情で、頭に掛けたタオルでガシガシと2~3度髪を拭いた。
「俺は──」
えっ答えるの!?という音のないどよめきが室内に踊った。
「名前、呼んで欲しいかな」
「…絶頂で?」
「…そう。絶頂で」
淡々と答えると、若島津はさっさと談話室から出ていった。
「なんか、それいいかも」
「愛されてるって実感湧くな」
若島津の放った一言は、なぜかそこにいた連中の共感を呼び、感動すら与えていた。
一方でヤツの求めるセックスが、妄想の中で繰り広げられる肉欲そのものの行為とはかけ離れているようで、俺はひどく打ちのめされた。
なぜって俺とアイツの性が交わる時、それはきっと合意の上ではなく、俺が辛抱出来なくなってムリヤリ体を開かせ、強姦まがいな行為で若島津をめちゃくちゃにするからだ。
そんな狂気のような瞬間に、俺に名前を呼んで欲しいなんて誰が思うだろう。
アイツの思い描くそのシーンには、俺はいない。
それが現実なのだ。
分かりきったことを今さらくよくよしてもしょうがない。
それに若島津は俺のことを、気の置けないダチとして認めてくれているのだ。
俺の飲みかけのペットボトルをためらいなくラッパ飲みだってする。あの潔癖な若島津がだ。この関係を絶対に失うわけにはいかない。その為なら、時折悪魔のように頭をもたげる性欲とだって闘ってみせる。
一生、若島津の傍に居続ける為にも。
部屋に戻るとすでに若島津はベッドに横たわっていた。
手元には指を挟めたままの文庫が力なく握られ、スウスウと静かな寝息と共に腹の上で上下していた。
俺はそっと本を取り上げると、落ちていた栞を挟んで枕元に置いた。
こうして何の疑いもなく俺とベッドを並べて眠る若島津を見てると、時々どうしようもなくすまない気持ちになる。
俺は溜息をついて灯を落とした。
「若島津」
ふいに呼んでみた。
若島津があんな質問にまともに答えるとは思いもしなかった。
ほんとはもう、すでにそんな具体的なことをイメージする近しい間柄の女がいるのかもしれない。いてもしょうがないとは思うがやりきれなさは拭えない。
いっそ聞かなきゃよかったと、あの場に居合わせたタイミングの悪さを呪いつつ俺はベッドに身を投げた。
「おやすみ、若島津」
壁に向かって寝返りを打とうとしたところで、俺の体は固まった。
「好きだよ……」
若島津の寝言だった。
俺は頭から枕をかぶり、一切の音を遮断した。
白みかけた空がカーテンの隙間に覗く。
とうとう一睡も出来ないまま朝を迎えようとしていた。こんなことは初めてだった。
今日の部活はキツくなるなとダルい気分で体を返す。
「おはよう」
いきなりの声に全身が跳ね上がった。
「夕べはやたら早く寝ちまったみたい。栞、ありがと」
「あ、ああ」
「すごい早起きしちゃったよ。俺、8時間以上は寝られないんだよね」
俺が部屋に上がってきたのは8時くらいで、その時すでに若島津は眠っていたから目覚めたのは4時ってところか。一時間近くも枕で顔を覆った自分を見られていたのかと思うとバツが悪い。
「あのさ…」
俺の方に体を向け、腫れぼったい目をしばたかせながら若島津は言った。
「昨日言ったこと、忘れてくんないかな」
「え…?何」
「その、……絶頂の時にどうの…っての」
「……」
「なんであんなこと言っちまったんだろ」
ゴロンと天井を仰いで不機嫌に洩らす。
忘れてくれと言われても、一晩中引きずる程のこのショックはそう簡単には消えない。あれは嘘だからと否定しない限り、若島津が望む真実に変わりはないのだ。
「今さらそんなこと言ったって、連中皆聞いてるぜ。しかもスゲー共感されてたし」
「他のヤツらは別にいい」
「なんだよそれ」
「日向さんは…忘れて」
「なんでだよ。俺が覚えてんのがキモチ悪いのかよ」
後ろめたい気持ちからか変に自虐的だ。
「そんなんじゃ…。そうじゃなくて…恥ずかしい」
「……」
「俺の勝手な願望だから……」
そう言って若島津は両腕で顔を隠した。
コイツの細やかな願望も、所詮俺には無関係だ。なんで俺はこんな不毛な片思いをしてしまったんだろうかと情けなくなる。
「そりゃ分かるぜ。俺にだって普通に性欲あるしな。それくらいのことは誰だって考えるし、別にいいんじゃねえの」
「……アンタの願望って何?」
「……」
「言えないくらいエロい?」
「ああ、とても言えねえ」
「女?」
「あ?」
ギクリとなって若島津を見る。
「……」
「ごめん。俺、ヘンなこと言ったかも」
「……」
「もうヤメ。こういう話は向いてない」
そう言って若島津は背を向けた。
しばらく沈黙が続いたが、再び若島津が口を開いた。
「やっぱ聞きたい。アンタの願望」
「えっ?勘弁しろよ」
「いいじゃん、教えてよ」
「もうヤメって言ったじゃんか」
「…好きな女子、いるの?」
「……」
「どこの子?東邦?外?」
「いねえよ、そんなの」
「いないなんておかしいよ。絶対いる」
「俺、サッカーバカだからよ」
「そんなごまかしもう効かないって。俺が知ってる子?」
「あーっもう、うるさい!」
ガキみたいなやり取りの末、再び俺は枕の下に潜り込んだ。
そして勢いで叫んでしまった。
「言えねえって言ってるだろ!おまえ俺に告られて平気でいられるのかよ!」
言った後でしまったと思ったが遅かった。
寝不足の頭は、慎重な言葉選びにとうとう根を上げてしまったらしい。
事実上、俺は若島津に告白してしまったのだ。
取り返しのつかない事態に目の前が真っ暗になる。
放ってしまったセリフに弁解の余地はなく、気不味い空気が室内を浮遊した。
しかし反面、もうこれ以上面倒臭い思いをしなくて済むといった、開き直りの境地でもあった。
ここで潔くフラれれば、案外諦めがつきそうな気がした。そして心底サッカーに打ち込んで、自然に忘れていけばいいのだ。
そもそも甘っちょろい恋だの愛だの、俺には向いていないのだから、これでいい。
「後悔しただろ。おまえがしつこく聞くからだぜ」
「……」
俺は枕から顔を出した。
いっそこっぴどくフラれた方がスッキリする気がして、逆に攻撃的になる。
「どうだ、気分悪ィだろ。おまえ、今まで俺にそういう目で見られてたんだぜ。最悪だよな」
すると、背を向けたまま沈黙していた若島津がいきなりクスクスと笑い出したのだ。
あまりのショックにおかしくなってしまったのかと、俺は怖くなってベッドから身を起こした。
「知らない女の名前が出たらどうしようかと思った」
「え…?」
「もー、心臓もたねえ」
「…意味分かんねえんだけど」
「俺は、アンタほど鈍感じゃないってこと」
「はぁ?」
体勢を変え、突っ伏した格好で顔だけこちらに向けた若島津の目は、やっぱり笑っていた。
「どういうことだ?」
「まだ分かんない?‥ほんっと鈍感」
意地の悪いセリフを吐きながらも、ヤツの顔や耳が赤らんでいることに気付いた。
「名前、呼んでくれよ。夕べみたいに」
「…えっ?」
「ごめん、起きてた」
「…うそだろ」
「俺ってズルイ奴だから…。やっぱ自信ないし、アンタの本音聞くまでは」
「い‥言わせられたのか?俺は」
「薄々気付いてたよ…日向さんの気持ち。ずっと傍にいるんだから、当然だろ」
全身の力が抜けそうだった。
俺は自分でも気付かないうちに、若島津の駆け引きに巻き込まれていたってことなのか。それにしても人が悪過ぎる。ベッドの上に胡座をかいて、壁に背中を預けると間抜けな自分に深い溜息が出た。
「思い違いじゃないよね?」
「……」
「なんとか言えよ」
「勘弁してくれ」
「…俺も好き、って言っても、大丈夫なんだよね?」
「えっ…そ、そういうこと!?」
「その鈍感、なんとかなんないの…?」
「あ…──ええ~~っ?」
「俺も、好きだから。…安心して」
ウソみたいな現実だった。
手始めに俺は若島津のベッドににじり寄って、キスをした。
俺が近づくと、ヤツは迎え入れるように体を返し手を伸ばした。全てが自然で、なんのためらいも違和感もない。
始めは遠慮がちにスッと触れただけだったが、若島津の腕が背中に回ると自制が効かず、思いっきり体重を預けると深く重なった。
あまりの柔らかさにドキリとなって離し、確かめるようにまた重ね、頬にキスしたり耳たぶを含んでみたりした後、また唇を合わせ柔らかさを確認する。優しい感触に頭が朦朧としてきて、一睡もしていないことを思い出した。このままコイツの腕の中で眠れたら…。
「そういえば、日向さんの願望、聞いてなかったな」
「…エロいぞ、俺のは」
若島津がクスクスと笑う。
ぎゅっと抱き締めると、妄想の中で何度も抱いた体よりも、ガッシリとした手応えを感じ嬉しくなる。
「若島津……」
好きだ、と言おうとしたが、襲いくる睡魔に打ち勝つことが出来ず、俺はそのまま意識を手放してしまった。
ほんの二時間程度の睡眠だったが、一晩中の眠りを貪ったような爽快な気分で目覚めた。
腕には若島津をしっかりと抱き込んでいて、お互いじっとりと汗をかいていた。纏わりつく俺を見下ろす若島津は、心なしか不機嫌にパタパタと文庫本を扇ぎ、ささやかな風を浴びていた。
「悪ぃ…汗だくだな」
「うん、別にいいけど。…よく寝れるなと思って」
「暑いのはわりかし平気だからよ。それに夕べは殆ど眠れてなくて…」
「そうじゃなくて…まあいいや。シャワー浴びたいから離してくれる?」
「ああ、すまん」
一見物腰は軟らかいが、やはりどこか刺がある。
やっと手に入れたコイツに、些細なことで嫌われてしまっては適わないと、俺は風呂道具を抱えて部屋を出ようとする若島津を呼び止めた。
「なあ、俺…寝てる間になんかしたか?」
「……なにも」
「おかしな寝言でも言ったか?」
「ううん」
「なんか、気に障るようなこと…」
「だから、何もしてないよ」
「そうか…」
だったらなんで不機嫌なんだ?そう言おうとしたら、若島津がくるりと振り向いた。
「あーゆう時って、フツー寝ないだろ?バカ」
「……!」
言い捨てると若島津はさっさと出ていった。
バカか……尤もだ。据え膳に箸まで持っていながら「ごちそうさま」をしたようなものである。勿体無くて情けない。
なにより、ヤツがプリプリと不機嫌なところを見ると、そういうことになってもいいと期待したってことじゃないか?ああ…勿体無い…。
人間ってのは欲深くなるとキリが無い。夕べまでの俺はもっと奥ゆかしかったぞと自分を戒めながらも、シャワーを浴びて戻ってきた若島津にどうやってキスを迫ろうかと考えていた。
もう絶対離さないと心に誓いながら。
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