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土曜日。後期の教科書を揃えるため、久しぶりに下界に降りた。 若島津を見ると奴もうっすらと笑いを噛んでいた。 「いいんじゃないの?楽でいいよ」 そう言って学校指定の本屋へと歩き出した。 レジで学校名と学年を言うとあらかじめ用意されている袋を出してくれた。 金を払うと俺達は他の本には目もくれず店を後にした。 マンガや雑誌は寮のどこかに転がっているし、読みたい本があれば学校の図書館に行けばいい。俺なんかに比べ読書家の若島津も、いつもそうやって間に合わせている。 坊ちゃん育ちのくせにこういうところはちゃっかりものだ。 帰りはいつものように3つ手前のバス停で降り、50円節約。その金プラスαでアイスを買って食いながら帰るのが定番だ。 道なりにあるコンビニに立ち寄りアイスを買った。ガリガリ君コーラ味、若島津はソーダ。 「またコーラ?たまには違う味にすればいいのに」 「いいだろ、ほっとけ」 袋から取り出したアイスはまだギンギンに冷えていて霜がついていた。 「冷たくて噛めねえ」 「うん、ガチガチ」 そう言いつつ若島津は威勢よくガジッと音をたてて一口目を頬張った。 「どういう歯してんの、おまえ」 「え?フツーだけど」 「おまえに噛まれたらひとたまりもねえな」 どうしてそういう発想になったか自分でも分からない。ただなんとなく若島津がドラキュラで、喉元にかぶりつかれる自分を想像してしまった。 一瞬、周りの音が聞こえなくなるほどにその妄想は俺の体を駆け巡った。 何を考えてるんだろう、俺は。 「ねえ、コーラ少し味見させてよ」 「……」 「日向さん?」 「あ?ああ」 言われるままに差出すと、若島津はまだ一口も食べていない俺のアイスを遠慮もなしに齧った。 そこには綺麗な歯形が弧を描いていた。そこに残された完璧な歯並びにしばし見蕩れてしまう。 「あ、ごめん。食い過ぎ?」 「い、いや」 「ソーダも食べてみてよ。美味しいから」 口元に差出され、反射的に口を開けた。一応気を使ったのか、そこは若島津が齧ったのとは反対側の部分だった。 味なんか分からなかったが、無意識に「うまいな」と口が勝手に喋っていた。 そのセリフに満足したのか、若島津は「だろ?」と笑いながら再びアイスを口にした。 俺が齧った部分が若島津の唇に吸い込まれる。 意味の分からない動揺にとまどいながらも、俺は若島津の口元から目が離せなかった。 それからというもの、俺は若島津の口元が気になってしょうがなかった。 「わっわりい!転んじまって……」 心臓がバクバクして汗が吹き出す。しかしなんとかこの場を誤魔化さなければと見え見えの嘘で言い訳した。けどヤツからはなんの反応もない。俺は恐る恐る若島津の顔を覗き込んだ。 すると若島津は目を閉じたまま、さっきと同じように半開きの口で寝息を立てていた。 「な、なんだ、寝言かよ」 気が抜けて、ついでに腰も抜けそうになったがかろうじて起き上がると、気を取り直して声をかけた。 「おい、こんなとこで寝るな。体おかしくするぞ」 「だから…だれ…」 「俺!」 「なんだ…日向さんか…」 一瞬なにが起こったか理解できなかった。 若島津のデカイ手が俺の腕を引っ掴んで、ものすごい力で引き寄せられたのだ。いきなりのことで体制は崩れ、俺は若島津の上に倒れこんだ。 腕が首に回る。ヤツの頬が耳に触れた。 「他のヤツならぶっ飛ばしてやるとこだぜ…」 ……。なにがなんだかワケワカメ、だ。 結局、あれから再び眠りの底に沈んだ若島津をズルズルと引きずって、部屋まで連れていったわけだが。 きっと俺は複雑な顔をしていたのだろう。若島津は自分がなにかをやらかしたのだと思ったらしく、何度もしつこく聞いてきた。やらかしそうになったのは俺の方だとは口が裂けても言えない。しかし、全てを無しにするのも何故か勿体無い気がした。 「おまえ…俺を誰かと間違えて、抱きついてきたぞ」 「え…?」 見る見るヤツの顔色が変わった。 「俺みてえなガタイを女と間違うなんて、おまえ相当疲れてたんだな」 「……」 若島津の顔がふてくされていくのが分かった。やっぱり言わない方が良かっただろうか。からかうつもりはなかったが、ヤツの反応を見たかったのは事実だ。自分でも悪趣味だと思う。 しかしその反応は、意外な言葉で返ってきた。 「多分、間違えてはないよ」 「え?」 「あんたと分かって抱きついたってこと!」 最後は語気を荒げて言い捨てるように、ヤツは部屋を出ていった。 今朝から一度も、若島津は目を合わせてくれない。 好きだから。だから触れたくなったにすぎない。 バカバカしいほど単純なことだった。 そうと分かれば、一刻も早く…… どうすればいいんだ? ******** ―――「…さん」 「日向さん!」 「はっ…?」 「教室移動。みんなもう行っちゃったぜ」 見渡せば教室には俺と、教科書を抱え不機嫌そうに俺を見下ろしてる若島津の二人だけとなっていた。 「なに深刻な顔で悩んでんの。昼飯のこと?」 「あー…いや、その」 「遅れんなよ」 若島津は相変わらずのツッケンドンな態度でプイと背中を向けた。 「ま、まてよ」 「一人で来れるだろ、視聴覚室。もう始まっちゃうし。じゃあな」 「そうじゃなくて、昨夜のこと!」 「……」 大股でズカズカと2、3歩行ったとこでヤツの足が止まった。 「あのさ…あの…俺まだおまえに言ってないことがあって…色々迷っててよ。んで、今朝おまえに言われてようやく気付いたっつうか…」 自分でも何を言っているのか分からなくなりそうだった。元々弁説に達者な方ではない。おまけに素直な方でもない。思ったままの気持ちを言葉に乗せるのがこんなに難しいことだとはついぞ思いもしなかった。 しどろもどろになるのはもう一つ、若島津が俺の方を向き直り、瞬きもせずにじっと見つめているのだ。俺はまるで幻術にでもかかったように、ヤツの瞳から目を逸らすことが出来なくなっていた。 ふいに若島津の視線が解かれた。正面切って見据えていた顔が背けられる。 「なに本気にしてんだよ。冗談に決まってるだろ」 「…え、なに?」 「今朝言ったこと!そんなわけないじゃん。真剣にとらないでよ」 「……」 「そういうわけだから…悪かったな。無駄に悩ませちゃって」 若島津は振り向きもせず、教室を出て行こうとした。 うそだろ?何が冗談なんだ。どこからどこまでだ。俺はこんなに真剣に悩んで…ていうか、気付いちまったこの気持ちはどうしたらいいんだ! 腹の底から沸々と沸き上がる感情が脳天に達する前に、体が勝手に動いていた。 俺はヤツの腕を掴んで乱暴に振り向かせていた。 「ふざけんなよ!すかしたこと言ってんじゃねえよッ!」 「…っ」 「おまえがそんな人の心を弄ぶようなヤツだとは思わなかったぜ!」 「な…っ?」 見る見る若島津の顔が真っ赤になった。 「弄んだのはそっちだろ!?アンタがあんなことするから…てっきりアンタもそうなのかと思ったんじゃないかっ!なのに朝になったらなんもなかったみたいな顔して!それってズルくね!?」 「…あ、あんなことって…」 「キスしようとしたじゃん!しらばっくれんじゃねえよ!」 「おまえ…起きてたのかよ…」 「……」 「ズルいよ、それ」 始業のチャイムが鳴った。 「若島津…」 「なのに…女と間違えて、なんて。あまりにもデリカシくない…」 「悪かったよ…」 「すっごい傷付いた…」 「悪かった…」 言いたいことが言えてスッキリしたのか、若島津は落ち着きを取り戻したようだった。 ふうと一息つくと、側にあった机に浅く腰かけた。 「聞くよ。日向さんの話」 「え、今さらか?」 「色々悩んでくれたんだろ?頭抱え込んじゃって、すんごいマジな顔してた」 「ああ、スゲエ考えたぞ。でも無駄じゃなかった」 「どうだか」 俺は若島津の正面に立つと、ヤツの両手を握った。 「好きだ」 大した動揺も見せず、若島津は俺を見上げた。 「誰が?」 「俺が」 「誰を?」 「おまえを」 「……」 今日初めて、若島津が笑った。 「なんなんだろうな、俺達」 「え?」 「二人揃って、アブノーマル」 「笑い事じゃねえだろ。でも…おまえだから、受け入れられた」 「……」 「もう、覚悟はできてるから。逃げねえ」 俺達は恐る恐る顔を寄せあって、初めてのキスをした。 つい興奮して唇を押し付けたら、歯と歯がぶつかってえらく痛かった。若島津の前歯は見た目同様セラミックのような頑丈さだった。 噛まれたらひとたまりもないから、舌を入れるのは次のキスまでお預けにしておこうと思った。 あれから俺達は、週末になるとたまに二人でバスに乗った。 ただ街に出てブラブラするだけの時間をなんとなく楽しむ。そして帰りはいつものように3つ前のバス停で降り、アイスを食いながら帰るのだ。 だんだん秋も深まり、霜のついた氷を頬張るのも震えが走る季節となってきたが、こっそり繋いだ手は温かさを増す。 サッカー以外なにもないと思っていた俺の学生生活も、案外人並みに幸せみたいだ。 |
2007.9.19〜10.4