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妄想日記1―⑦~⑬
若島津の気が変わらないよう速やかに朗らかに、そして獰猛な目つきを悟られないよう自宅マンションへ進むその足取りはさながら初めての同伴出勤にこぎつけた新米ホストである。
地上10階建ての最上階にエレベーターが止まる。それまで黙ったまま日向の後ろをおとなしく付いてきていた若島津が「へ~」と言った。周りがあまり建て込んでいないおかげで結構見晴らしはいい。
「キレイだろ。新築だからさ」
突き当たりの角部屋に案内するとカギを開けて中へ招き入れた。夢にまで見た実像の若島津と自分の生活の場が融合したそのシーンに日向は一人感動する。若島津は靴を脱ぐ前に礼儀正しく「お邪魔します」と言った。いまに「ただいま」と言わせてやる…静かなる野望を胸に「まあまあ」などと言いながらリビングへとみちびく。
「殴ったことは、謝らないからな」
相変わらずホッペはズキズキと痛むが、彼がここまでついてきてくれただけでそんなのは帳消しだ。
「俺が失礼なことを言ったからだろ。悪かったな、スマン」
日向が素直に詫びると、それが意外だったのか若島津の顔にほんのり笑顔がもれた。
ぐわっめちゃくちゃカワイイ!!笑った顔なんて初めてかも!ああっこの笑顔独り占めしたい!俺だけのものにしたい!
獣のような欲望が頭をもたげる。しかしだ。ここで一人突っ走ればおそらく一泊どころか二度と口もきいてもらえなくなるだろう。そんなのはイヤだ!絶対困る!
悶々と自分自身と戦っている日向をよそに、わりと遠慮なく部屋中をウロウロしたり勝手にドアを開けてみたりする若島津。
「…ここって、もしかして俺の部屋?」
ぼんやりしてる間に迂闊にも「若島津ルーム」を見られてしまった。アイタタ…退くかな。退くよな普通。まだ同意も得てないのにこんなデカいベッド用意して、住まわせる気満々なのがバレてしまった。あわあわ。
「なんだ、一緒に暮らそうなんて言うから、なにもかも一緒なのかと思ってビビってた。ちゃんと考えてくれてたんだな」
意外にも好意的な若島津の反応に、日向はヒザカックンでも喰らったように2~3歩前にくずれ出た。
なんか、いい風吹いてきたぞ。
* * * * *
「あたりまえだろ!3帖一間の同棲時代じゃあるまいし(って古いな俺)俺はオマエにサッカーに重きを置いて欲しいんだ。大学なんか正直どうだっていい。勉強なら選手を引退してから始めたって遅くはないだろ?それよりも今の肉体で今出来ることを全力でやれよ!オマエほどのヤツなら必ずトップに上がって誰よりも優れることができる。オマエはその才能も可能性も持ってるんだ。俺が言うんだから間違いない!」
若島津は口をポカンと開けたまま呆気にとられて、真剣な面持ちでまくしたてる日向を見つめた。
(もしかして俺って‥本気で愛されてるのかも…?)
いや、ちがって。
正直言って最初声をかけられた時から日向のことは大胆なホモ、くらいにしか見ていなかった。きっと自分の体が目当てで近づいてきたのだと。実はこれまでもその整った容姿に原因があるのかそのテの男性に迫られたり、告白されたりという経験も悲しいかなわりとあったりする。恥じらいのない接触(いわゆるチカン)なども経験ありだ。まあ彼の場合、実家が空手道場ということで本人も有段者であるから相手をボコボコにすることなどワケないのだが(ホントは禁じられてるんだけどね)
ようするに可憐な猛者の若島津は、日向のアプローチもその程度にしか捉えていなかった。
日向がサッカーにおいて人気も評価も実力に伴っていると知っても若島津の印象は「ホモだけどスゴイ奴」であった。必ず冒頭に「ホモだけど」の枕詞がもれなく付いてしまう。でも‥、だけど。
ひょっとしてこの日向という男は、自分を一人のサッカー選手として、若島津健という男として認め、そして真剣に買ってくれているのではないか。本気で世界を目指す相棒として自分を選んでくれたのかもしれない。
そう思うと若島津は胸が熱くなった。感動してしまった。そして心が揺れてしまった。
残念なことに日向が最終的には若島津をこまそうと思っているという点は正解なのだけどね。
ちなみにどうして若島津の気が変わって一晩泊まることにしたのかというと、翌日は午後からトップチームとのテストマッチが行なわれる予定なのだ。新人にとってこれはアピールのチャンスである。その試合には万全の体調で臨みたい。通勤通学なんかででくたびれるわけにはいかないのだ。
非常に打算的だがすんなりと日向の懐に甘えてしまう若島津も、意識はしていなくても日向のことを憎からず思っているのかもしれない。そう、無意識に。
とりあえず愛しい若島津の為に日向は冷蔵庫を開け、腕をふるう準備を始めた。
* * * * *
まさか今日自分が日向の家に来ることになろうとは夢にも思っていなかった若島津は当然着替えなどもなく、全身日向の持ち物に身を包むハメとなった。だが不思議と違和感はなかった。
日向が作ったスパゲッティ-をご馳走になり、一番風呂をもらってさっぱりとした後、買い置きの新しい下着を出してもらい洗い立てのスウェットジャージを着てリビングのソファーに身をしずめる。時計を見るとまだ7時前。なんてのんびりまったりして有意義な時間なんだろう。
いつもならバタバタと食堂に駆け込み、セルフで食事をよそおって、隅っこに置いてある25型のテレビから流れるニュースとかを半分聞き流しながらメシをかき込む。そして食べ終われば慌ただしく風呂へと急ぎ、込んでる時間ならちょっと最悪でのんびり浴槽にも浸かっていられない。そして濡れた髪を拭きながら部屋に戻って机に向かうのが9時頃だ。若島津のこの1ヶ月はそんな毎日だった。正確に言うと中等部からの6年間と1ヶ月である。寮生活にも慣れたものだったが、練習場への通勤時間がプラスされ、プロとしての多少のプレッシャーと緊張感で疲労も倍増だった。
(居心地いいなあ…)
今の若島津の率直な感想だ。日向の作った食事も存外にうまかった。ホールトマトをザクザク切って炒めたニンニクと混ぜ合わせただけのシンプルなものだが、手際がよくてあっという間にテーブルに出てきた。腹が減っていたのでそのタイミングのよさには感動すら覚えた。風呂もトイレも意外と掃除が行き届いているし、日向のような嫁さんがいたら結構シアワセかも~なんて、ふかふかのソファーで膝を抱えるように丸まり、まどろみそうになりながらぼんやりと考えた。
「フ~~~~キモチよかった」
風呂から上がった日向が髪をガシャガシャ拭きながらリビングに戻ってきた。そして若島津の居る風景を改めて見て、
「部屋に誰かが居るって、いいよなあ。」
としみじみと言った。誰かが、なんてワンクッション置いた言い回しだが本音は「若島津が」である。他の誰でもない若島津が自分のパンツ(おニューだが)をはいて自分の部屋着を着てここにくつろいでいる…く~~っ幸せ!小躍りしたい衝動を押さえるようにいきなり部屋の隅で腹筋を始めた。若島津はそんな日向を横目に眺める。テレビのスポーツコーナーや雑誌で見る「タイガーショットの日向小次郎」とひとつ屋根の下でツーショット、なんか不思議だ。不思議だけど自然でいられる自分にも驚きだ。そう、実におだやかで自然なのだ。まるで親兄弟のように、20年来の幼なじみのように、ずっと前から知っているような空気感。なんだろな。
ずっとここに居たい。
「囲う」なんて言われて噛みついた自分が今となってはバカバカしく思える若島津だった。
* * * * *
ギシギシと軋む寮の備え付けのシングルベッドとは違い、天然木でシックな色調の大きなベッドは寝心地も最適で、勉強とトレーニングで頭も体も疲れきっていた若島津にとっては申し分ないものだった。10時近くまで机に向かい教科書を捲りながらレポートをまとめ、日向が用意したコーヒーを飲みながらパソコンで調べものをして、そして12時にはベッドに潜り込んだ。真新しいシーツの香りとベッドの木の香がアロマのように心を癒す。
(これだけ甲斐性あるなら女にもモテるだろうにな)
ファンの女の子たちにキャーキャー言って囲まれる日向を想像して、若島津はちょっとイヤな気分になった。別にノーマルなことなんだからかまわないじゃないかとも思うが、現在自分へと向けられた日向の暑苦しいまでの情熱が、すごく自分にとって大切なもののような気がするのだ。もし突然プイとそっぽを向かれたらものすごく傷付いてしまいそうだ。そんなバカな、ともう一人の自分があざ笑う。
(あーもうめんどくさい!考えるのやめよ)
フカフカの羽毛の春布団を頭まですっぽりかぶって、明日のテストマッチの為にも早く眠りに落ちる努力をした。
一方日向は。向かいの部屋に若島津が眠っていると思うとそわそわして眠れなかった。出会ったその日に奪った唇を思い浮かべる。柔らかくて温かい唇。
(ハ~~…もういっぺんキスしてえなあ…)
もういっぺんどころか何度でも、朝起きておはようのキス、練習終わってお疲れ様のキス、家に帰ってお帰りのキス、とにかくなにかに理由をつけてはキスしたい。コーヒーを渡した時「ありがとう」と言ってはにかむように笑った若島津を今日の見納めだと思って目に焼きつけたが、その顔が日向の脳みその中でだんだんとアニメーション化していき勝手に都合のいいように動きだす。濡れた瞳で「日向…」なんて呼んだかと思うと目を閉じて、しまいには唇を差し出すように顎を上げる。
「わ~~~~った、たまらん!!」
日向は両手で頭を抱え、ベッドの上でごろんごろんと悶え苦しんだ。こましたい!あんなことやこんなこと、若島津が赤面するようなヤラシイことをこの手で!この、この…。
手を見つめながら溜息をついた。いや、ダメだ。ようやく彼の警戒心が溶けて笑顔を見せてくれたばかりなのに欲望にかられてフライングすれば、若島津の逆鱗に触れることは間違いない。きっとさっき喰らったコークスクリュービンタよりも恐ろしい襲撃をお見舞いされることだろう。
日向はしばし見つめたその右手をそっと、寝巻き代わりのジャージの中に忍ばせた。
申し訳ないがすぐそばにいる若島津を思いながらシコシコといたしていると、突然ドアが鳴った。
「あのさあ、眠れないんで何か強い酒とかあったらもらえないかな…」
すでにジャージを太腿のあたりまで引きずり下ろして派手に掻いていた日向は、想像の中で喘がせていた若島津の声がドアの向こうから聞こえたもんだからそれはもう跳ねっかえるくらい驚いた。
「あっ…うっ…」
返事のしようもなくあたふたと手の中のブツを持て余した。状況と相反して実際に響く若島津の声にも反応してしまう。いい声なんだよなー。ソフトだけど声帯は間違いなく男で、高音になると少し掠れるんだ。それが結構セクシーでエッチで、自分の下に組み敷いて鳴かせてみたい欲望がふつふつと。
「…日向?」
結局ナニを握ったまま固まっていた日向は逃げ道を用意する間もなく、そしてドアのノブがゆっくりと回転した。
* * * * *
「酒ならテレビの下のサイドボードに入ってるぞ」
間一髪フトンをかぶってあられもない姿を覆い隠した日向は、さもウトウトしてましたといわんばかりの作り声でボソボソと言った。しかしその顔はかすかに上気しており目元もビミョーに潤んでいる。
変に思った若島津は「どうかしたのか?」と、あろうことか日向のベッドに歩み寄ってきた。日向の顔がまるで熱に浮かされたように見えたからだ。
心配そうに覗き込むその顔はやたらキレイで可愛くて、ふわりと香るシャンプーだかリンスの匂いが鼻をくすぐる。同じものを使っているハズなのにどうしてこんなにいい匂いがするんだろうコイツは。
「顔が熱っぽいぞ?具合悪いんじゃないか。昼間あった時やたら汗かいてたし…」
そう言って日向の額に手をあてた。温かくて大きな、キーパーの手だ。も、もうダメだ。ガマンできねえ。ナニがこんな状態の時に額とはいえ直に触れられたら、ヤツの肌を直接感じてしまったら、もう暴れだす欲望を制御することは不可能に近い。
「わっ若島津!」
ガバリと起き上がると隠されていた日向の全てがあらわになった。
「え…えっ!?」
あからさまに「男」を主張したその下半身がイヤでも目に入る。若島津はうろたえた。いくら寮生活が長いとはいえそういうプライバシーは死守してきた。そんな状態のモノを、見られたこともなければ他人のモノを見たこともない。
あまりのショックに動けないでいると素早く腕を掴まれてベッドに引き込まれた。
「わっ!」
「普通、どうぞって言われるまでドアは開けないもんだぜ?」
両手を押さえ付けられ足から下に体重をかけられ(ついでにナニも押し付けられ)若島津は身動きが取れない。
「ご、ごめ…」
確に日向に言われる通りだと反省した若島津は素直に謝った。しかし状況は変わらない。それどころか下腹に触れる日向のイチモツが脈々と波打っているのが伝わる。
日向が自分に対して性的なアプローチをしかけてきていると分かっていながら、少々ガードを外し過ぎてしまったようだ。ホントに、日向は自分のことをそういう対象として見てるんだな…切羽詰まった状態の日向にそのことを実感する。
「突き飛ばして殴ってもいいんだぜ」
ギリギリの顔でそう呟く。そんなこと言われたって…。だが身じろいでみると腕を押さえた手にはそれ程力は入っていなかった。逃げようと思えば逃げられる。それなのに体に力が入らないのだ。それどころか日向の重みを心地よいと思ってしまっている自分がいる。
「早く逃げろよ…キスしちまうぞ」
怒ったように、けれど甘いような響きのある独特の低い声で囁かれ、若島津は完全に全身の力が抜けてしまった。
* * * * *
抵抗を見せない若島津を前に日向もとまどう。驚きすぎて腰でも抜かしたのだろうか。それとも殴っておきながら泊めてもらってることに少なからず遠慮しているのだろうか。
それにしてもベッドに横たわる若島津は恐ろしく色っぽい。オレンジ色の間接照明に照らされた滑らかな肌、黒くて大きな瞳、シャープな口角でいながら触れると柔らかい唇。うっすらと開いたその隙間からセラミックのような白い歯がわずかに覗く。すべてが完璧で日向の男を刺激する。
(キレイだよなあ…)
大切にしたい。すごく大事にしたい。この掴んだ両腕だって、いまに世界中の注目と喝采を浴びる黄金の腕となるだろう。いわば日本サッカー界を担う原石なのだ。ここで無理矢理奪ってしまえば、たとえ瞬間的に受け入れてくれたとしてもずっと後悔がつきまとうような気がした。
「ぐ…ガマンする」
ようやく絞り出すように呟くと、日向は若島津の横にゴロンと仰向けになった。
スッと軽くなった体にひんやりとした空気が触れる。日向がのしかかっていた部分が呼吸を始めたようだった。日向は「ハア」と溜息をつくと、太腿のあたりで止まっていたジャージを引き上げ恥部に着せた。そして、
「便所いってくる」
そう言って部屋を出ていった。
残された若島津はしばし呆然としていたが、顔の横に開くように投げ出された両手を胸のあたりに下ろすと、掴まれていた部分をそっと握った。なんで自分は逃げ出せなかったのだろう。あれくらいの圧力なら軽くあしらえたはずなのに。
「アイツ、本気なんだな…」
ひとりごちてシーツにうつぶせた。日向の匂いがする。同じ男だというのに、情慾をあからさまに向けられていると分かっているのに何故か拒絶できない。これまで何人かの男に言い寄られた時に感じた嫌悪感とは違う感情が若島津を支配した。抱き込まれた時の温もりが薄れていけばいく程言い様のない寂しさを感じる。
(日向…)
無意識に心の中で呼んでいた。そしてだんだんと瞼が重くなり、いつの間にか若島津はそのまま日向のベッドで眠りに落ちていった。
バタバタと慌ただしい音で目が覚めた。どうやらあのまま熟睡してしまったらしい。肩まで布団が掛けられてあって、あれから日向が出入りしたという気配を感じた。でもどうやらベッドには入ってこなかったようだ。
「よう、眠れたか」
気まずいような面持ちで部屋を出ると、トレーニングウェアを着た日向がキッチンでなにやらこさえていた。
「安心しろ。俺はソファーで寝たから」
鍋の中でオタマに乗った味噌を溶かしながらバツが悪そうに日向は言った。首にかけたタオルを見て、
「ジョギングでもしてきたのか?」
と若島津が聞くと、「まあな、日課だ」と軽く返した。
「悪かったな。アンタのベッド占領して‥‥あんまり寝心地よかったもんだから」
ほのかな日向の残り香がそうさせたということを、自分自身でもまだ自覚のない若島津であった。
* * * * *
あんな目に合わせておきながら、恨み言やののしりの言葉もなく下げずみの目で見るわけでもなく、いつもとたいして変わらない若島津の本心が何を思っているのかまったく読めない日向であった。
それほどまでに一晩泊めてもらうことが彼にとって負い目なのだろうか。だから何も言い返せないのだろうか。けど夜中に寝室を覗いた時、シーツに張り付くように「爆睡」状態の若島津はことのほか可愛く、「寝心地がよかった」というのはあながちウソでも方便でもないようだ。日向は襲いたい衝動をグッとこらえ、えいっと布団を肩までかけてやりその場はおとなしく部屋を出た。
「今日は学校に行かなくていいのか?」
朝ご飯を作りながら声をかける。二人掛けのダイニングテーブルに腰かけ、起き抜けでピンピン跳ねた髪の毛を押さえ付けながら「試合が終わってからノートを提出しにいくだけで…」と言いかけた若島津が突然、椅子をガガガと引いてワ~~~~ッと叫んだ。
「洗濯なんかしなくていいのに!!」
ベランダには昨日脱いだパンツやTシャツ(若島津の)が朝日を浴びてハタハタとはためいていた。もちろん練習着も一緒にである。そして隣には自分のものではない男物の下着が仲良く並んで揺れている。
「ついでだからさ。別にブラジャーとかパンティーじゃねえんだし恥ずかしがることないだろ」
たしかに。寮ではムサイ男物の洗濯物が一本の竿にトコロ狭しとかけられ、中には俺は絶対はかない、といったデザインのものも(勝負下着かってくらいの派手な奴とか)平気で干されている。そんな光景は見慣れたもののはずなのに…。いや、というより日向が脱いだままの自分の下着を洗濯機に入れ、それをパンパンしながら干してくれた、ということがどうにも恥ずかしいのだ!ああ、でもけっこう新し目のヤツ穿いてきててヨカッタな、なんて思ったり。
もちろん日向だって平気だったわけではない。若島津の匂いのついたパンツ(とくに匂いはないが雰囲気で)を手に取った時ははっきり股間がジクジクと疼いたし、干す時だって丁寧に丁寧にシワを伸ばして朝日にかざして眺めてみたりもした。そして若島津がコレを穿いてる姿を想像しては、またしても股間がいかんともしがたい状態になったりして‥‥。
(俺ってヘンタイの素質ありかも)
などと少しだけヘコんだりもしたが。けれどもたったこれだけのことでちょっぴり「同棲気分」を味わえてかなり幸せな日向なのだった。
「夕方までには乾くから、帰りにまた寄ってくれよな」
実をいうとこれが最大の目的なのだ。着の身着のままでやってきた若島津が練習場に戻り、テストマッチが終わればきっとそのまま大学の寮に帰ってしまうのは必至である。
日向は彼をマンションに誘うきっかけが欲しかった。軽いキモチで「来いよ」と言える理由が欲しかったのだ。しばらく顔を覆って赤面していた若島津だが、
「あー、う、うん、えっと、…あ、ありがと。取りに来る」
ヤッターーー!!大成功ーーーー!!!勢い余って思わず目玉焼きの玉子をぶっつぶしてしまった。
若島津は照れを隠しながら頬杖をついて何ゲについていたテレビのワイドショーに目をやる。まったく興味なさそうな芸能ネタだが意固地になってテレビから視線をはずさない。でも内容はほとんど耳にも目にも入っていなかった。
(俺、このままなし崩しに日向と付き合うことになってしまったらどうしよう…)
* * * * *
なんとなく夕べの流れからいけば、そうなってしまいかねないムードだ。どこかで一線を引かなければ…。だけど日向に対して決定的な罵倒の言葉も、拒絶の気持ちも浮かんでこない。これはどういうわけなんだろう。自分でも自分の気持ちが分からないでいる。
「さ、顔洗って来いよ。朝飯食おうぜ」
とりあえずは、ホカホカした朝食の匂いに思わず顔が緩む若島津であった。
テストマッチは0-2でトップチームに軍配が上がった。この2点はいずれも日向の得点である。当然と言えば当然だが若島津は悔しい。今季リーグが開幕して、サテライトではあるが4試合に出場して今のところ無失点記録更新中なのだ。
けれどやはりトップはスピードも戦略も一段上だ。ディフェンダーの連携がもたついた一瞬をついて得点に結び付けられた。一点はニアのコーナーからヘッドで。もう一点はミドルの位置からのタイガーショット。
トップのシュート数は20本にも及んだが、日向の2点以外は見事にセーブしてみせた。
ゴール右隅に蹴られたシュートをパンチングで弾くとすぐさま詰めていた中盤の選手がこぼれ玉を左隅に蹴り込んだ。これを若島津は柔軟な動きと瞬発力で体勢を変え再び弾くと、左から上がってきたディフェンダーがヘッドで押し込もうと突っ込んできた。その動きを瞬時にとらえると、強靱な足腰で起き上がり今度こそは胸でガッチリとキャッチした。
その不屈の闘志と反射神経には思わず敵も味方もなく拍手が沸き起こった。
ポストプレイでゴールそばに立ちはだかっていた日向がニッと笑う。まるで自分が誉められたかのような得意顔だ。そしてトップ下の先輩をつかまえて「あいつ、スゴイっすよね」と嬉しそうに話しかける。「ああ、サテライトにはもったいねえな」と返されて「でっしょ~~~?」と自慢気に背中をバンバン叩いているのが若島津にもとって見えた。
(アイツは俺のプロモーターか)
呆れながらも素直に嬉しい。
試合には負けたものの決して後味は悪くなかった。課題も見えたしトップのスピードも体験できた。合同ミーティングの後トップとサテライトに別れてのミーティングが行なわれ、解散になると選手たちはそれぞれに帰り支度をしてバラバラと練習場から帰途についた。
マンションに洗濯物を取りに行かねばならない若島津は日向を探した。ロッカールームにも姿が見えなかったのでまだボールを蹴っているのかも、と個人練習用の第3グランドへ行ってみた。
案の定、日向はまだギンギンに鋭いシュートをゴールめがけて蹴り込んでいた。テストマッチとはいえ90分フルの試合をこなした後によくやるなと感心する。こうでなければ世界には通用しないのかもしれないが。
しばらく見学しているとようやく若島津に気付いた日向が「なんだよ、声かけてくれよ」と言って駆け寄って来た。試合の後ということもありチームメイトモードだったのが、二人きりで向かい合った途端ドギマギとした空気に様変わりした。
「あの‥洗濯物を」
そだな、と少し寂し気に下を向く。やっぱり今日、帰ってしまうんだな。そりゃそうだよな。まだ一緒に住むなんて返事をもらったワケでもないしな。ああ、でも幸せな2日間だった‥。好きだ。大好きだ。この気持ち、どうにも止まらねえ。
「俺は若島津が大好きなんだ…!」
心の中で叫んだつもりが思いっきり声に出して言ってしまった。
* * * * *
困り果てたように俯く若島津に日向は「ス、スマンつい」と頭を掻きながら背中を向けた。
異国の地で浦島太郎にならないよう、定期的に知人に送ってもらっていた日本の番組などを収めたビデオテープの中に若島津の姿があった。。
青や緑の目の連中に囲まれていた3年間で何人かの金髪の女と付き合ったりもしたが、西洋の大味な国民性や自己愛の強さに実を言うと少々うんざりしていた。
そんな時、若島津の東邦での生活を追ったドキュメントがその時送られたテープに入っていたのだ。ストイックでまっすぐで、しかし意外と情熱家で、短いインタビューの中では彼の魅力がギュッと凝縮されていて「きっとコイツは俺と同じ舞台に立つ男だ」と直感した。選手権での超人的な彼のプレイが所々に散りばめられており、その並外れた反射神経と身体能力には舌を巻いた。そして画面に映る若島津を見つめているうちに彼の私生活や本当の性格や笑い声やクセや、テレビでは映り切れない彼のすべてを知りたいという欲求が沸き起こってきたのだ。こんなに一人の人間(しかも男)に興味をそそられたのは初めてだった。
そして今、その若島津が目の前にいる。単なる一目惚れから確実な恋に変わった。端正な顔だちの中の、挑戦的で真っ黒な瞳に見つめられたらどうしようもなくドキドキしてしまう。こんな気持ちは初めてだった。
しかし自分の感情ばかりを押し付けて、大好きな若島津を困らせるのは本意ではない。日向は軽く深呼吸して気持ちを切り替えた。
「悪かったな。行こうか」
そう言うと手早く片付けを済ませて若島津を促した。
丁寧に干された洗濯物を取り込むと、若島津はそそくさとバッグに詰め込んだ。
「ありがとう。すっかり世話になっちゃって」
「んなの、どってことねえよ。…お茶くらい飲んでいくだろ?」
少しでも引き止めたくて、多忙な若島津を承知で台所に立った。
「うん…でも、4時半までには帰らないと」
チラリと時計を見るしぐさに胸がキュンと痛む。これまでの日向は、どちらかといえば相手の都合はお構いなしの強引なタイプだった。こんな場合でも無理やり引き寄せ熱いキスで相手をメロメロにさせておいて、お得意の重低音ボイスで「今夜も泊まっていけよ」と囁けば大抵の女は他の用事なんか打棄って日向に身を任せるいったパターンだった。
けれど若島津と出会って、彼を知れば知るほど自分でもビックリするくらい臆病になってしまった。初めて会った日に勢いでキスしてしまった自分が今となっては偉大に思える。あの傍若無人さはどこへやらである。
「日向はさ、その…男…にしか興味ないの?」
突然若島津が切り出した。思いもしない質問に日向は全身で否定する。
「まさか!俺は至ってノーマルだぜ?ホモでもゲイでもオカマでもねえ」
茶筒を握りしめての反論に若島津の顔は「??」である。だって…。夕べアンタ、俺にのしかかって思いっきりその…反応してたじゃんか、とその目は語っていた。そしてその発言が行動に伴っていないということにさすがの日向もハタと気付いた。なんて言って説明すればよいのか自分でも分からない。
「男だけどホレてしまった」「好きな気持ちが性別を越えてしまった」あれこれと理由を考え、単純過ぎる頭をひねってみたが…。
ようするに。
「オマエは特別なんだ」
* * * * *
理屈なんかいらない。実にシンプルに、ただこれだけのことだ。
日向もまたまっすぐな男である。自分に正直でウソがつけない。
そして若島津は、このまっすぐな男の無意識にして最大の殺し文句にとうとうやられてしまった‥‥。
まるで顔と心臓が直結しているかのように、早くなる鼓動とともに頬が熱くなる。きっと今自分は茹でダコのように真っ赤になってるに違いない。若島津はいたたまれなくなって両手で顔を覆った。
出されたお茶を半分程飲むと若島津は立ち上がった。
「それじゃ、俺はこれで。ごちそうさま」
できるだけ日向の顔を見ないように、バッグを背負うと玄関へ向かった。日向と目が合えばきっとまた茹でダコになる気がしたから…。それに。下手なドラマのセリフみたいに「今日は帰りたくない」なんてことを口走ってしまいそうな自分が恐かった。それって、そういうセリフって、ぶっちゃけ女のセリフじゃん?しかもそのセリフの先にあるものは十中八九、いや九分九厘、恋人同士の甘~い一夜に決まっているのだ。そんな現実、男同士の日向と自分に限って絶対にありえない。
一方、少しでも長く若島津と一緒にいたい日向は「バス停まで送るよ」といって部屋のカギを取った。
「そんな、いいよ。すぐそこだし」
振り向かずに返す若島津に切なくなる。ずっと会えないワケじゃないのに。クラブハウスで会おうと思えばいつだって姿は見れるのに。
でも今この瞬間、日向は若島津を手放したくないという衝動にかられ、いてもたってもいられなくなった。スニーカーを履いて最後にあいさつをと振り向きかけた若島津の腕を引いて思いっきり抱き寄せた。
「えっ」
「若島津…行くな」
「!!」
ぎゅううっと力一杯抱き締められ言葉も出ない。次の瞬間、かなり荒っぽく唇を奪われた。日向より2センチ程背の高い若島津だが、バランスを崩して玄関のトビラに背中を預けると若干日向よりも小さくなった。顎を持ち上げられ激しく口付けられる。
「…っ!…っ!!」
日向のTシャツを掴んで押し返そうと頑張ったが日向も本気だった。本気のキスは情熱的でかなり‥ウマイ。ガチガチに強ばった体で抵抗を試みていた若島津だが、その激しくも柔らかくやさしいキスに次第と力が抜けていき、しまいには両手がだらりと落ちて日向のされるがままになっていた。
目を閉じて貪られるまま唇を開く。やがて日向の温かい舌が遠慮がちに入ってきたかと思うとゆっくりと丹念に舐め回された。
若島津もこれまで何人かの女の子と付き合ったことはあるが、キスなんて自分が仕掛けるばかりで正直エッチの前の余興みたいなものだった。自分の好みも関係するのか、わりと付き合う子みんなに共通するのは奥手で清楚で淡白、どちらかと言えばセックスにも積極的なタイプではなかった。したがってキスを仕掛けても黙ってされてるだけのおとなしい女の子達だった。
だから口の中をこんなふうに愛撫されたのなんて初めてだった。二人の体温が溶け合って、呼吸もひとつになって、恥ずかしいくらいに感じてしまう。キスってこんなにキモチのいいものだったなんて…。
最後にキュウッと舌を吸われるとゆっくりと唇が離れていき、頬を伝って耳元に寄せられた。
「若島津…好きだ…今日は帰さない」
* * * * *
「常識」という最後の糸がプツリと音を立てて切れた瞬間、若島津は日向の背中に腕を回して抱きしめていた。
「日向…」
感極まって声が掠れてしまった。黙って日向は抱きしめ返してくる。耳たぶや首筋、頬に目もとにとキスを移動させ、再び唇に触れた。今度は最初から若島津はその口付けに応えた。首をかしげ、深く日向を受け入れる。
もう、どうなったっていい。きっと自分はこういう運命だったんだ。日向に身を任せることでこんなにも簡単に安心感と幸福感を得られるなんて、あまりにも単純すぎて笑ってしまう。人はこれを恋っていうのかもしれない。
だとしたら、きっとこれが初恋だ。今までのが単なる恋愛ゴッコに思えてしまう。こんなに胸が焦がれるような気持ちは初めてだった。はっきりと、若島津は日向のことが好きなんだと確信した。
どちらからともなく唇を離すとお互いの顔を見合った。ほんのり赤く上気した目元にいつも以上に桜色に染まった唇。目が合った瞬間、ちょっと照れて下を向いたその表情が色っぽい。
ほんとこいつ、キレイだ。いつまででも見つめていたいと日向は思った。
背中に回された手の意味は、そういうことだよな?俺の気持ちを受け入れてくれたってことだよな?頬を包むように掌を添えると黒くて大きな瞳が日向を捉えた。なにか言いたげなその目に、大きな期待で胸が膨らむ。ところが彼の口から出たのは意外な一言だった。
「あの…やっぱり、今日は帰る」
「えーっ?」
日向は思わずコケそうになった。だって、今の雰囲気だとこのまま最後までイケそうなカンジなわけで。今を逃して次会った時、若島津の気が変わっていたら…。冷たくあしらわれる自分を想像して日向はちょっとだけ青くなった。
見るからに落胆の色を隠せない彼を少し可哀相にも思ったが、でもここでムードに流されて自分を見失うようではこの先お互いのためにもよくないという気がした。若島津は真面目なのである。快楽優先型の日向と違いやるべきことはちゃんとやってからでないと娯楽にも興じられない性分なのだ。
「とにかくさ、身の回りのことをきちんとしてからまた来るから。その‥‥荷物まとめて」
「…え?」
「…だから」
目が点状態の日向の胸元に、Tシャツの上から人指し指でのの字を書きながら若島津はボソボソと呟いた。
「こ、ここで暮らす…」
いいよな?というふうに上目使いに日向を伺い見る。その瞬間日向の顔がボッと音が出んばかりの勢いで真っ赤になった。マママジっすか?ここで暮らすということはっ、一緒に暮らすということはっ!もう完全にオッケーってことだよな?若島津!!
答えの代わりに日向は思いっきり若島津を抱きしめた。一目惚れで片思いで一方通行だった想いがようやく実を結んだのだ。
(ああっ日本に帰ってきてよかった!若島津っ好きだ!大好きだ!強くてキレイで可愛くて、でもちょっとおっかない俺の恋人!)
少々強引な日向の恋は、見事若島津のハートを捕まえることができハッピーエンドとなったのである。思い込みとはパワーだ。まあ、これで若島津がすんなり彼に体を許すかどうかはまた、別のお話…。
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