放課後

SIDE日向

 後期突入早々の実力テストで2日間の部活休みだ。
進級に関わるもんでもないから特に試験勉強するでもなく、ぽっかり空いた放課後をただなんとなく過ごす。
「日向さん、駅前行きませんか?」
 若島津に誘われるままバスに乗り、久々に「下界」へ降りた。
駅前と言ったって、田舎の駅だ。界隈には昔ながらの商店街があって、古めかしい老舗デパートの支店が唯一のシンボルである。西側の狭い通りを入るとようやく若者らしい店が立ち並び、ゲーセンだのマックだの、そこには中高生が賑やかしく入り乱れている。その並びにあるのが俺達御用達のスポーツショップだ。

「グローブ、新しくしようと思うんですよね。日向さん、一緒に見てくれます?」

 小さな間口のショップだが、サッカー有名校の東邦学園のお膝元というだけあってサッカー関連の商品はたいがい何でも揃っている。店のオーナーも元東邦サッカー部だそうだ。

「新しいの、入ってるよ」

 オーナーはいつものように親し気に声をかけてくれた。

「グローブだろ?そろそろ来るんじゃないかと思ってたよ」

 俺のシュートを日常的に受ける若島津のグローブは、おそらくどこのキーパーよりも消耗が激しい。練習量もハンパじゃないからすぐにダメになっちまう。特待生につきユニフォームからスパイクその他まで学校から支給される俺と違って、若島津の備品は全て自腹だ。決して安くはないキーパーグローブを年に何セットも買わねばならないのは正直大変だろうと思う。
いつもは土曜か日曜の部活が終わって、門限までの空いた時間に一人でブラッと街に出る若島津だが、今日はなぜだか俺を誘った。

「どっちがいいと思います?」

 グレーに赤いラインの入ったものと、シルバー地に黒の渋いヤツを手に取って見せた。

「俺は…黒い方がいいな」

 グローブに赤色を見るとドキリとする。2年くらい前、国際試合で手に傷を負って流血沙汰を起こした時の記憶が今も脳裏に焼き付いていた。それ以来、赤い手袋はなんとなく嫌いになった。

「じゃあ、これにする」

 そういって若島津は、俺が選んだグローブをオーナーに手渡した。
あと3つで寮の最寄りというところで俺達はバスを降りた。でかい公園の入口で、この公園をつっきったら寮の近くに出る。時間もあるし、俺達はバス代50円をケチることにした。

「俺、この公園歩くの好きなんです」

 ゆっくりと歩きながら若島津が言う。

「日向さんは…退屈ですか?」
「いや。たまにはこういうのもいいな」

 よかった、と呟くとヤツは静かに微笑んだ。


SIDE若島津

「それなら、もうちょっとゆっくり歩きましょうか」

 思いきって言ってみた。ホントはベンチにでも座って門限ギリギリまでのんびりしたい。
つまり…日向さんと二人きりでいたい。
そんなことは口が裂けても言えないから、それならば寮までの道程をできる限り引き伸ばしたいと思った。
特に会話が盛り上がる訳でもない。どちらかといえばお互い無口な方である。
部活の間は、チームをよくする為に意見を出したり、互いのマズイ部分を指摘し合ったり、時には激しく衝突することだってある。
けれどいったんグラウンドを離れると信じられないくらい物静かな俺達に、チームのヤツらは「何か気まずいことでもあるのか?」と心配さえしてくる。
気まずさはない。むしろ日向さんと共有する静かな時間を楽しんでいるといっていい。今もこうして、これといった会話はなくても、日向さんと並んで歩けることに言い様のない幸福を感じる。

(つくづく、好きなんだよな────)

 この気持ちが何なのか、俺ははっきりと自覚していた。
気付いた時は正直とまどい、徹底的に否定した。掻き消そうと足掻いてもがいて、それでもどうしようもなくて、結局認めることで楽になれた。そして素直に「一緒に居たい」と思うようになった。
こんな我侭が通るのも、東邦にいられるまでのことだ。卒業と同時に俺の願いは叶わなくなるだろう。その日のことを想像すると、不覚にも泣きそうになる。
日向さんにはこれまで何度も泣き顔を見られたが、こういう女々しい涙は見られたくない。

「なあ、少し休んでくか」
 突然、日向さんが立ち止まって言った。
「藤棚の下にベンチがある。あそこに座ろう」

 心の内を読まれたのかと一瞬ドキッとしながらも、返事を待たずにスタスタと前を行く日向さんの後を俺は黙ってついて行った。

「気持ちいいな」

 そう言って日向さんは背もたれに寄りかかり、長くてがっしりとした両足を投げ出すと、枯れた蔓がまとわりつく殺風景な藤棚を見上げて伸びをした。

「…そうですね」

 人一人分くらいの間を空け、隣に座ると俺も棚の天井を見上げて相槌を打った。
ふと日向さんに目をやると、上を仰いだままの格好で俺の顔をじっと見ている。目が合ってもなお逸らそうとせず、マジマジと観察するように見つめられ、俺の方がたまらなくなって顔を背けてしまった。

「な、なんですか?」
「いや…おまえって…」

 言いかけて、今度は日向さんが顔を逸らした。

「…なんでもねえ」

 無遠慮に広げ、俺の肩になにげに触れていた腕が引っ込められて、両のポケットに収まった。
あたりはもう薄暗い。門限まではまだ時間はあるが、いくら日向さんでもさすがに夜の公園で俺と二人っきりでいたいと思うような物好きではないだろう。
俺は浅く溜息をつくと、未練を断ち切る思いで立ち上がった。

「そろそろ帰りましょうか」
「…だな」

 日向さんものっそりと腰を上げる。
さっき何を言いかけたのか追求したい気もしたが、あとわずかの距離で終わってしまう二人だけの時間を少しでも取りこぼさないよう、ことさら大事に一歩一歩を踏みしめた。


SIDE日向

 焦った。なにげに視界に入った若島津の横顔に、思わず見惚れてしまうとは。
若島津は変に思っただろうか。しばらく目が合っていることにも気付かず、ついマジマジと見つめてしまった。
女ドモが陰でコソコソ若島津のことを「姫」と呼ぶのを聞いたことがある。その時は意味が解らず鼻で笑った気がするが、今なんとなくその訳が解った。
 確かにコイツ、綺麗だ。王子様というよりはやはり「姫」に近い。しかしガキの頃からずっとそばにいながら、なんで今まで気付かなかったんだろう。朝起きてから夜寝るまで、ほとんど四六時中と言ってもいいくらい一緒にいるのに。まさに燈台下暗し、だ。
幼なじみが絶世の美形だったと今更気付いたところで何が変わるわけでもないが、実は焦った理由は他にある。
ドキドキと、心臓が高鳴ってしまったのだ。若島津の横に居ることを、腕がヤツの肩に触れていることを急に気恥ずかしく感じ、意識してしまったのだ。
休んでいこうと自らベンチに座って3分も経っていないのに、俺は急激にその場にいるのがいたたまれなくなった。
すると若島津が「そろそろ帰ろう」と先に切り出した。まるで俺の焦りを分かっているかのようなタイミングでギクリとしたが、落ち着いた様子で「あっという間に暗くなりますね」と言われ、辺りを見回し納得した。

「今日は付き合ってくれて、ありがとうございます」

 若島津は足を止めると、ゆっくりと振り向いて礼を言った。機嫌のいい笑顔を向けられ、俺もつられて顔がほころぶ。

「また、一緒に…」

 言いかけて俯いた。一緒に、なんだ?

「…また明日から部活ですね」
「…そうだな」

  俺が横に追いつくと、若島津も歩調を合わせて歩き出した。すっかり夜の匂いに変わった風が、時々俺達をなぜるようにまとわりつく。それに混じりふわりと若島津の匂いがする。シャンプーとは違う、なんだかいい香りだ。身だしなみに気を遣うところも女子に人気がある理由のひとつだろう。
頑張らなくても十分モテるヤツなのに、これ以上いい男になって、更に綺麗になられては困る気がした。
俺の中ではいつまでも明和で出会った頃のままの若島津なのに。このまま放っておいたらそのうち俺の手の届かないところに行ってしまうのではないかという、出所の分からない焦りを感じた。

「なあ、もっとゆっくり歩こうぜ」

 焦った挙句、口から出たのはチンケなセリフだった。
俺はいったいどうしたいんだろう。物事を深く考えるのが苦手な自分を、この時ばかりは恨めしく思った。
若島津は何も言わず俯いた。髪の毛の隙間からチラッと見えた口元が笑っているようだった。
心の中を覗かれての失笑かに思えて密かに落ち込んでいると、ポツリとヤツが呟いた。

「さっきから俺、日向さんにキモチ読まれてるみたい」

 それは俺のことだろう?オマエのキモチなんて俺には読めない。読めたら…なにかが変わるだろうか。
夕暮れの余韻も底々に、木々の間からはすでにいくつもの星が瞬いている。もうあと50メートルも歩けば公園の出口だ。
最後にもう一度、若島津の横顔を盗み見た。
 確実に、胸の音が大きく弾んだ。


SIDE若島津

 自分がこれほど欲深い人間だとは、ついぞ思いもしなかった。
俺達を強制的に囲む「学校」という枠を出て、ほんのわずか自由な時間を共有できたことが俺をいい気にさせてしまったようだ。
日向さんのちょっとした言葉や仕種やその視線が、こんなにも喜びを与えてくれるとは予想外だった。
ただちょっとデートの真似事をしてみたくて声をかけた。そのまま寮に帰っても結局一緒なのだから、たまには外で並んで歩いてみたい。買い物に付き合ってもらったりなどして日向さんの時間を俺の為に使ってほしい。そんないじましい気持ちで「駅前にいきませんか」と誘ったのだ。
それほど沢山の会話を交わしたわけではない。むしろ沈黙の方が長かった。それでも日向さんが横にいるだけで満たされた気分だった。
 俺を貪欲に変貌させたのは、ベンチでの数分だった。
これまでは常に一定の距離を保っていた日向さんが、なぜだかぐっと接近したように感じた。
そのことが俺を動揺させ、わきまえているはずの心が自己主張を始めた。
 あれ以来、よりいっそう「好き」な気持ちが膨らんだ気がする。
タチが悪いことに「なんとかしたい」とまで思うようになった。
俺はもっと思慮深い人間ではなかったか。欲望が理性を超えることなんてありえない。今はちょっと気分が昂りすぎて自制が薄れているのだろう。うまくなだめて、誤魔化して、いつもの俺に戻らなければ。
 そんなふうに冷静かと思えば、時々発作のように日向さんに身を寄せたくなる。腕を絡ませ、肩にもたれたい。いっそ心の内を洗いざらい告白してしまいたい。
カラカラに喉が乾いているのに目の前の水が飲めない、そんな悪夢のような発作をくり返す。
こんなことなら、気持ちを否定したまま苦しんでいた方がまだマシだったかもしれない。
 こんなドロドロした俺を、決して日向さんには悟られたくない。


SIDE日向

 気がつくと、いつも目で追っていた。
一緒に街へ出たあの日以来、常に視界の中で若島津を探している。姿が見えないと不安にさえなる。
 こんなことは初めてだった。なぜこんなに気になるのか自分でも解らない。経験のないことにとまどい、苛立ちを感じたりもする。時々理由もなく、何も知らないアイツを捕まえて「おまえのせいだ」とインネンをつけてやりたくなる。
サッカー以外のことで、気を患うことなんか今までなかった。
文字通り「サッカーバカ」の俺は、どうすればこのモヤモヤが解消されるのかそのヒントさえ掴むことができず、イライラは募るばかりだった。
 その答えはある日、雷鳴のような衝撃とともに俺の脳天を直撃した。
練習中に右肘を激しく擦りむいた俺は、クラブハウスの手洗い場で傷口に付いた芝や泥を洗い流していた。
ちょうどそこへ若島津がタオルを忘れたと言って取りに戻ってきた。

「ケガですか?ちょっと見せて下さい」

 腕を取って傷を診ると「消毒をした方がいいですね」と言って俺をそのまま部室へと引っぱっていった。
救急箱から消毒スプレーを取り出し、丁寧に傷口を洗ってくれた。ゆっくりとした動作はヤツの几帳面さを窺わせる。
向き合う体勢で真正面から若島津の顔を見下ろすと、伏せた目の縁には睫がキレイに生え揃い、血色のいい唇は艶やかに膨らみ、形良く閉じられていた。
なんとなく若島津の顔や体を目で辿っているうちに、またワケの分からないモヤモヤが俺を支配し始めた。

「一応バンソウコも貼っておいた方がいいですね…」

 顔を上げたヤツの視線に捉えられるその瞬間、俺は思わずそれを遮った。
唇を、奪ってしまったのだ。
相手が若島津で、男で、ここが部室ということも、全て頭からぶっ飛んでいた。ただ目の前で息づく唇が柔らかそうで、触れたらどんなだろうと。
それは想像以上に柔らかくて、温かくて、俺は瞬時に満たされた。もう何も考えられなくなって、無我夢中で唇を合わせ続けた。
若島津の手が俺の腕を掴んだ。ハッとなり唇を離す。

「あ…あの…」

 困惑しきった表情の若島津に、すぐさま現実へ引き戻された。

「ス、スマン…俺…」

 若島津の顔が見る見るカアッと赤くなる。

「いえ……」

 それだけ言うと俯いてしまった。
俺は急いで言い訳を探した。いったいどうしてこんなことをしてしまったのか。
しかしどれだけ考えを巡らせても、出てくる答えはひとつだった。しかもそれは、呆れるほど単純明快な答えだった。
 その時、俺は初めて自覚した。モヤモヤの理由。なぜ若島津を目で追ってしまうのか。
胃の底に突き刺さるような衝撃に、俺の体はまっぷたつに裂かれたようだった。


SIDE若島津

「ちょっと洗ってくるわ」

 負傷した腕を抱えクラブハウスに向かう日向さんの後を、俺は急いで追っかけた。
タオルを忘れたなんてウソだ。いつもたかが擦り傷とほったらかしにして化膿させたりする人だから、心配になって見に来たのだ。

「たいしたことない」という日向さんをムリヤリ引っぱって部室に入れた。
 俺は強欲だ。傷の手当てだなんて言いながら、日向さんの体に堂々と触れたいだけだ。
自分でも笑ってしまうくらいバカ丁寧に消毒液で傷口を拭う。
おとなしく腕を差出す日向さんからは芝と汗のニオイがした。
泣きたくなるくらい、好きだ。この気持ちは一体いつになったら決着がつくのだろう。いつになったら想い出に変わって、笑って話せる日が来るのだろう。
どうにもならないと判っているのに、忘れられやしないことも知っている。ほんと、バカな俺。
 …一瞬、なにが起こったか解らなかった。
思い詰めすぎて、幻覚でも見ているのかと思った。
キスをされたということに気付いたのは、唇が離された後だった。
俺はもしかして、無意識のうちに思いをぶちまけて、日向さんがそれを受け入れてくれたのだろうか?
夢のような出来事に、これが現実なのか幻想なのかの判断もつかなくなっていた。

「スマン」───日向さんの一言で、冷や水を浴びせられたように俺は正気に戻った。
 スマンって、何が?
謝られるようなことを、俺はされていないのに。
そう食い下がろうとしたが、青ざめる日向さんを見るととても言えなかった。それはとんだ間違いに気付いてしまったという顔だった。
俺は力なく日向さんの謝罪を受け入れると、もう何を言う気力もなく俯いてしまった。

「…バンソウコウ、でしたね」

 暫くの沈黙の後、やっとの思いで軋む体を動かし救急箱の中を漁った。

「ああ、大きいの、切らしてる・・・普通のヤツ二枚、当てときましょうか」

 ダメだ。視界がぼやける。
俺の目からは情けなくも涙が溢れ、それは止めようもなく手の甲にポタポタと雫を落とした。


SIDE日向

 若島津を傷つけてしまった。
俺を心から信頼し、幼なじみとして、親友として、チームメイトとしてこれまで付いてきてくれた男を、こんな衝動的で安っぽい行為で失望させてしまった。
 若島津は男だ。男が男に性の対象として扱われることがどれくらいの屈辱か、俺にだって想像がつく。ましてや若島津は男らしさというものにはっきりとした美学を持った奴だ。外見はどうあれ、内面は屈強の猛者といってもいい。
そのヤツのプライドを、踏みにじる行為をしてしまった。
めったに泣く男じゃないのに、大粒の涙がゴツイ手の甲を濡らしている。
それなのにもかかわらず、俺は少しも後悔はしていなかった。むしろまだ足りないとさえ思っていた。
若島津にもっと触れたい。
なぜなら俺は………。
 俺は持っていた自分のタオルを若島津に差出した。
俯いたまま顔を上げないヤツの腕を引いて、強引に正面を向かせた。
少々乱暴に涙で濡れた顔をガシガシ拭いてやる。

「…汗くさい」

 鼻づまりな声で小さく呟いた。

「そのまま鼻かんでもいいぞ」
「…やですよ、汚い」
「おまえの鼻水なら平気だ」

ようやく若島津が顔を上げた。

「…どうして?」
「…好きだからだ」

 好きだから──。これほどすんなり言える自分に驚いた。モヤモヤの正体もイライラの原因も、全部この一言でカタがつく。常軌を逸したこの感情を、抵抗なく受け入れることが出来る自分にも驚く。ただ、こんな告白をされてしまった若島津の反応を見るのはさすがに胸が痛いけど。できれば言い逃げたい気分だ。
返事など期待していない。とにかく言って、スッキリして、俺自身が若島津を好きだってことを納得できればそれでよかった。
まったく傍迷惑な話だが。
 若島津はタオルで顔を隠してしまったままだ。汗くさいなんて言っときながら、俺のタオルをギュッと握って顔に押しあてている。その姿に愛おしさが増す。きっと、なんて返せば俺が傷付かないかを考えているのだろう。
この際なんと言ってくれても構わなかったが、俺は静かに若島津の反応を待った。天井を見上げ、失恋の瞬間を…。
トンと肩に重みがかかる。
 ふわりと、以前にも香ったことのある、若島津の匂いがした。


SIDE若島津

 額に伝わるこの熱は、きっと夢じゃない。俺は日向さんの体温を直に感じ、目を閉じた。

「ほんとに…?」

声が震えてしまってうまく言葉にならない。ちゃんと呼吸をしているのに、酸欠でクラクラだ。

「ああ、…好きだ」
「うそ…」
「ほんとだ」
「うそ」

 背中を包むように抱き締められた。想像していた通りの温もり。やっと止まった涙がまた溢れそうになる。

「…ムリして答えなくていい。俺の勝手な気持ちだ」
「…俺の気持ちは…無視ですか?」

 やっとの思いで言えたのは、なんとも可愛げのないセリフだった。

「おまえの気持ちを、知るのは恐い」

 鈍感な人だ。俺がこうして黙って抱き締められているっていうのに、まだ自分はフラれるものと思っている。
そういう俺も、正直まだ危ういけど。
 本当の本当なのか確かめたくて、俺は顔を上げると暫し日向さんを見つめ、もう一度目を閉じた。
背中に触れる掌の温度が、ぐんと上がったような気がした。
そして…。
 恐る恐る触れたニ度目のキスは、ぎこちなくも愛情深いものだった。
俺は蕩けそうになりながら、頭の隅では日向さんになんと言って告白しようか考えた。


SIDE日向

 もしかして、もしかするかもしれない。
ニ度目のキスは、間違いなく「どうぞ」的なものだった。偶然に目を閉じたのではない、と…思いたい。
それともただ単に、キスがしたかっただけだろうか。男相手でもそう悪いもんじゃなかったからと、ボランティアのような気持ちで許してくれたのかもしれない。
前述のとおり、物事を深く考えるのが苦手な俺の頭はすでにパンク寸前だ。前向きだったり、自虐的だったりと色んな思いが交差する。人は恋愛をすると、こんなにも面倒臭いことを色々考えなくてはならないのかと、俺はまだその入口にも到達していないのに早くもうんざりしそうだった。

「あの…そろそろ離してもらえますか?」

 抱きしめたまま離せずにいた若島津が、モジモジと身じろいだ。

「あ、ああ、…スマン」

 俺はいつまででもこうしていたいけど、ヤツはそうでもないようだ。やはりボランティアの線が濃厚に思えて、どっぷりと気分が沈む。

「あんまり帰らないと、探しに来ちゃいますから…反町あたりが」
「ああ、…そうかもな」
「日向さん…あの…」

 なにかを言いにくそうに口籠る若島津に、とうとう審判が下されると悟った俺は潔く覚悟を決めた。
好きだと気付いたその日にフラれるなんてやるせなさすぎるが、でもこれは仕方のないことだ。
だって俺は男で、若島津も男なのだから。奇跡でも起こらない限り、この恋は実らない。

「あの…」

 早いとこ言ってくれ。俺はもう、腹を括っているんだ。
ふいに両腕を掴まれて、ギョッとしてる間に若島津の唇が俺の唇をかすめた。

「俺、先に戻ります…」

 …アイツの方からキスしてきやがった?
バタバタとクラブハウスを出ていく若島津を、俺はただ呆然と見送った。


SIDE若島津

 なにがどうなって、日向さんは俺のことを好きになったのか。
考えれば考えるほど解らないし、信じられない。
「好き」の意味も、ただの友人としての好きとはワケが違う。それは俺が今まで散々悩み抜いて葛藤してきたものと同一だ。
そう簡単には認めることができなかった、同性への恋愛感情。
その突拍子もない感情を、あの人は恐れもせず俺に告げた。
 おそらく、俺が拒絶するかもしれないことを覚悟の上で。
なんだかそういうところは日向さんらしい。いつだって思ったら即行動のあの人にはこれまで幾度も振り回されてきたけど、それはあの人なりの「一歩も譲れない」理由があってのことだった。
そんな日向さんの「好きだから」という言葉は、きっと紛れもない真実だと確信できる。
だけどやっぱり俺自身は、キツネに摘まれたような気分だ。
三度もキスしておきながら、疑心を捨て切れないまま夜を迎えた。
 なんとなく顔を合わせづらくて、日向さんの行動を目の端で追いながら、かち合わないように動く。あの人が食事を摂っている間に風呂に入り、食べ終わったのを見計らって食堂に行く。そして風呂に行くのを確認して部屋へと戻った。
こんなことをしてたって、結局帰りつくのは同じ部屋なのに。
ベッドに横たわってカーテンを閉めると、落ち着かない気持ちを嗜めるように英語の教科書を開いた。辞書を片手に単語の訳を書き込んでいく。しかしこんな律儀な作業をしていても、ちっとも頭には入ってこない。
考えていることは、部屋のドアが開いた時、日向さんは自分になんと声をかけてくれるだろうか、ということばかりだ。
 そしてできれば、もう一度キスしたい…。
あの感触を思い出すと、体中がズキンとなる。好きな人とのキスが、これ程までに自分を惚けさせ腑抜けにしてしまうとは、想像もできなかった。
おそらく恋愛経験が少ない分、免疫がないせいかもしれない。
というか、自分はこれまで本気で恋愛したことなんてあっただろうか。
告白され、付き合い、なんとなく別れる。今となっては、そういうのは恋愛とは言わない気がした。
 ドアが開いた。

「若島津…もう寝たのか?」

 心臓が早鐘のように鳴り始める。

「あー…、まあいいや」
「…お、起きてますよ」

 思いきってカーテンを開けた。きっと俺は今、逆立ちをした後のように真っ赤な顔をしている。けどそれよりも、カーテンを持つ手が戦慄くように震えているのが恥ずかしい。やっぱり寝たフリをして、隠れていればよかったと後悔した。


SIDE日向

「あのさ、…その…」

  三度目のキスの後、妙な期待を持たされたまま若島津に避けられていた気がする。
ようやく二人きりになれて、俺は正直足が震えた。ここ一番という試合の時だって、こんなにテンパったりしたことはないのに。
でも、知りたい。聞かなきゃ治まらない。

「…おまえは、どうなんだ?」
「え」

 唐突な問いに若島津が戸惑っているのが判る。もっと他に言いようがあるかもしれないが、上手いこと言葉が出てこない。

「どう思ってる…?」

 最後のカードに賭ける勝負師のような思いで、もう一度問いかけた。
若島津はベッドの上で正座をして、ヒザの上で握りしめた拳を見つめていた。

「す…好きです」

 若島津がゆっくりと顔を上げた。

「俺も、日向さんが好きです」

 ……マジで?
嘘のない瞳が俺を捉えた。

「やだな…俺、顔真っ赤…」

 そういって両手で顔を覆ってしまった。その手は、小刻みに震えている。

「なんか…ウソみたいですけど」
「ホ…ホントか?」
「…こういうやり取り、さっきもしましたよね」

赤くなった頬を押さえたまま、少し笑顔を見せて若島津が言った。
…ヤッタ。ヤッタ───!!
 淡い願望がこんなにも簡単に現実のものになってしまっていいのだろうか!?
頭の中にチラチラよぎる「ひょっとして」を振り払いながら部屋へ入り、カーテンの閉まった若島津のベッドを見た時はやっぱりダメかと思った。若島津の一挙一動で打ちのめされる自分が情けなく、俺の心臓はこんなにも小さかったかと自己嫌悪にまで陥った。
そして今一瞬のうち、有頂天にまで持ち上げられた。信じられないが信じたい!
 …しかし──。
ヤツの「好き」と俺の「好き」は果たしておんなじ「好き」なのだろうか?
俺の「好き」は「友達として」なんていうキレイ事とはワケが違う。それを全部承知の上での「好き」ならば、正真正銘のヤッタ!だ。
立ち尽くしたままだった俺は、ゆっくりと若島津のベッドに歩み寄った。長いこと同じ部屋で寝食を共にしているが、このカーテンの向こう側には一度も立ち入ったことはなかった。
マットの端に膝をつくと、ギシリと音がした。

「キス、していいか?」

 こうなりゃとことん図々しくなってやる。

「……」

 何も言わず、素直な目で俺を見上げる若島津の両肩にそっと手を置くと、吸い寄せられるように唇を合わせた。


SIDE若島津

 ベッドの上、半分閉めかけたカーテンの中でのキス。
このシチュエーションだけで俺はもう理性を失いそうだった。
部室でのとは比べものにならないくらい、深くて濃厚なキスだ。肩を掴んでいた日向さんの手が次第に背中に回り、抱き込まれると同時ベッドに押し倒された。
胸も、腰も、足も、体中のすべてが密着して、恥ずかしい部分までもがしっかりと触れ合っている。キスに夢中になりながらも、そこの部分の存在を頭の隅では意識していた。

「若島津…好きだ…」

 唇を浮かせ囁くと、返事を待たずにまた深く口付けられる。
俺は答える代わりに日向さんの首に腕を回した。


SIDE日向

 柔らかい…。
空手やサッカーで見せる鋭敏な動きから想像する硬質なイメージとは違い、実際に触れる若島津は滑らかで柔らかかった。
ふんわり香る石鹸の匂いがそう思わせるのかもしれないが、いずれにせよ触り心地がよくて気持ちいい。
カーテンに覆われたベッドの上で、舌を絡ませるような濃厚なキス…しかも、若島津と。
俺の頭の中ではコイツと出会ってから今までのことが走馬灯のようにぐるぐると回転した。あの時も、あの時も、まさかコイツとこんなことになるなんて思いもしなかった。

「若島津…好きだ…」

 念を押すように囁いた。するとそれを合図のように若島津は俺の首にしがみつき、髪の毛を掻きむしるように指を絡ませた。応える舌も、唇も熱い。あの清楚で控えめな若島津からは想像もできない淫らな姿に、俺の中の男が疼く。
若島津も同じ男だから、俺の体の一部分が変化しているのも恐らく気付いているはずだ。そしてそれが何を意味するのかも。
 抱きたい──。
唇を離し、そう言おうとした時、突然ドアを陽気にノックされ俺達は弾かれたように飛び起きた。

「若島津~~。英語のノート、貸して欲しいんだけど~~~。」

それは隣の部屋の反町の声だった。

 

2006.9.22~2006.10.18/お海老連載