秋祭

 

 秋の連休にグラウンドの整備が入ることになり、サッカー部は3日間の部活休止を言い渡された。他校への練習試合遠征も組み込まれておらず、部員たちは我先にと予定を立てて寮からも姿を消してしまった。
 黙っていれば実家の親たちの知るところではないが、夏休みの帰省をすっぽかしていた後ろめたさもあり、俺は1泊だけ埼玉の自宅に帰ることにした。日向も一緒だ。あの人も盆をスルーしてしまった罪悪感があるのか、「彼岸だしな」と鼻の頭をかきながら言った。
 それでも心底からは気が進まず、土曜の午前中をだらだらと過ごし、重い腰を上げてから明和の駅に着いたのは3時をとうに過ぎた頃だった。見慣れたはずの町並みが、こうして足を運ぶ度にジオラマ化して見えるのは自分らがデカくなってしまったせいだろう。前回の帰省から半年ほどしか経っていないが、頭に浮かぶ景色が子供の頃の記憶のままなのは、最近の里帰りが義務的であり、懐かしさを心に刻む余裕もないからに違いない。

 日向と別れ家に着くと、ほとんど無意識に道場の方へ足が向いた。ちょうど小学生の部が稽古をしていて、他の師範代に混じって子供達の指導に加わった。小一時間ほど汗を流したところで中高生の部に入れ替わる時間となり、俺は適当な言い訳を並べながらその場を退散することにした。
少し早めの風呂に入って縁側で涼んでいると、どこからかお囃子が聞こえてきた。

「今日は周防大社の例大祭なのよ。商店街のお祭り、小学生の頃行ったきりじゃない?」

 母親が卓袱台に夕飯を並べながら言った。小さな商店街だが、祭りになると沿道には100軒近くもの出店のテントが並び、あちこちから香ばしい匂いが漂ってくる。
最後に行ったのは小学5年生の頃だ。兄弟4人で浴衣を着せられ、俺は妹の手を引いていた。
 たしかあの時、日向と偶然ばったりと出くわし慌てて妹の手を放した記憶がある。あの頃はまだお互い反発し合っていて、グラウンド以外で顔を合わせることがあっても、どちらからともなく目を逸らしてしまうというよそよそしい関係だった。
 だがすれ違いざま、日向の後ろに小さい兄弟たちがくっついているのを見て、少しだけ印象が変わったのだった。日向の両手には小さな妹と弟の手がしっかりと握られていた。俺は体裁にとらわれ妹の手を放ってしまった自分が恥ずかしくなった。
そんなことを思い出しながらぼんやりしていると、母が傍らで何やらを広げ始めていた。

「これ、お婆ちゃまの新作なんだけど、もしお祭りに行くのなら着てあげて欲しいの。健ちゃんにって、作って下さったのよ」

 浴衣だった。少し光沢のある藍色の反物で鴬色の帯が合わせてある。祖母は和裁が趣味で、孫たちの浴衣を成長に合わせ拵えるのが唯一の楽しみなのだという。

「行くかどうか分かんないよ。まだ誰とも約束してないし」
「小次郎くんとは?誘ってみたらどう。せっかくなんだし」
「あの人となら、逆に浴衣なんて着れないよ」

 日向と祭りに行きたいという気持ちが膨らむ。さっき別れたばかりなのに、もう会いたくなっている自分に呆れる。

「じゃあ女の子は?今時の子はみんな浴衣着るでしょ。…誰かいないの?誘えるような子」
「まずは浴衣ありき、なんだな」
「そうよ。だってせっかく…ねえ」

 こう見えて母も、姑との折り合いには色々と気を遣っているのだろう。道場の後継ぎとして大事に育ててきた息子の一人が親に逆らって家を出てしまったのだ。温厚な祖母ではあるが嫌みのひとつくらいこぼしたところで不思議はない。
「わかった」と言いかけたところで携帯電話が鳴った。日向からの、祭りの誘いの電話だった。

 夕飯を済ませ、待ち合わせ場所に着いたのは6時半を過ぎたところだった。約束の時間よりまだ大分早い。もし日向が早く着いていたならその分早く会えるかもしれないといった思いから、気が急いてしまったのだ。
日向の姿はまだなく、溜息をつきかけたその時、後ろから「よう」といつもの声がした。
 日向は俺の全身を上から下まで舐めるように見ると、「ふうん」と言ってニヤニヤした。ほとんど義務感で着せられただけの浴衣に早くも後悔の念が走る。奇を衒ったと勘違いされるのは癪だからだ。
 だが日向はそれ以上何も言わず、そっと腰に手を回して「行こうぜ」とやさしく促した。
子供の頃のようにゲームや景品に心が惹かれることはなく、ただ「祭り」というものを見物して回った。大通りに出ると、男衆による山車行列が威勢のよい掛け声とともに横切っていった。

「懐かしいな」
「うん…。そうだ、なんか食べる?祭りっぽいやつ」
「晩飯食ってきたしなあ。…そんなことより、二人きりになれるとこに入ろうぜ」

 混雑にまぎれて体を密着させると、日向が企むような声で囁いた。
二人を取りまく湿度が上昇するのを感じ、俺は慌てた。日向の体温と匂いが夜の行為の記憶をくすぐり、自然と体が反応してしまったのだ。

「なあ、『リバー』に入らねえ?」
「ちょっと…マジで言ってんの」
「ああ、ガマンできそうにない。…したい」

 その言葉に全身がカッと熱くなる。日向に求められると有無をいわず悦んでしまう自分の体が恨めしい。
『リバー』とは住宅街からは少し離れたところに建つラブホテルだ。日向の住む町との境を流れる河川に架かる橋を渡り、車の抜け道となっている細い道を入り込んだところにある。橋の向こう側は町工場が多く、夜になれば人通りも少ないため、逆にそういったホテルとしては繁盛していると聞く。
 実をいうと以前にも、日向にほだされて入ってしまった経験がある。たかだか数日の帰省中、たった数日会えないのが我慢できないのかと自分でも呆れてしまうのだが、あの時はまだそういう関係になって間もない頃で、今思えばしょうがなかったとしか言い様がない。覚えたばかりのセックスにのめり込み、俺自身性欲を制御できずにいたことは抗いようのない事実だった。
 だが今は違う。少しくらいの理性は育っていると思いたい。最後の抵抗を試みる。

「明日には寮に帰るんだぜ?月曜も休みなんだから、わざわざお金払ってそんなとこ入らなくてもさ」

 だが日向は怯まず、熱い視線を向け、真正面から口説いてきた。

「浴衣のおまえを抱きたい」
「……」
「そういう理由じゃだめか?」
「…わかったよ、もう」

 語尾は溜息まじりだった。最初に浴衣姿を見つめられた時からなんとなく予感はしていた。日向がケモノになる予感。そして浴衣を着付けられている時から、それを望んでいる自分がいた。結局、今夜は日向としたい、そんな気分だったのだ。

 見覚えのある丸いベッド。天井に貼付けられた淫猥な鏡。それらを眺めている俺の背後で日向が唸りながら帯の結び目を睨んでいる。

「簡単に見えて結構入り組んでやがる」
「だから大丈夫だって。俺も簡単な結び方くらい知ってるし、少しくらい違ってても分かんないから」
「ほんとうか?」
「そんなに気にするなら、やめる?」
「…おまえはやめてもいいのか?」

 後ろから抱き締められ、右手が合わせの隙間を割って肌に触れてきた。思わず吐息がもれる。

「浴衣ってのはつくづく無防備にできてるよな」

 指が乳首に触れ、円を描くように戯れてくる。芯が張り詰めてくるのが自分でも分かる。最近はたったこれだけのことでも性感してしまう。体中に張り巡る快楽の根が敏感になり過ぎている。苦しいくらいに、日向に感じてしまうのだ。
 俺は後ろ手に日向の腰に触れると、まさぐるように股間に手を伸ばした。硬く貼り出した感触がズボンの上からでも分かる。やさしく撫でてやるとビクリと大きく揺らいだ。首筋にかかる日向の息が荒い。日向は絡めた腕を外すと帯に手をかけた。衣擦れの音とともにゆっくりと解かれていく。日頃慣れない腹部の圧迫からの解放に、少しだけ緊張もほぐれてくる。

「本当はさ、浴衣姿のまま犯してみてえんだけど」

 帯は完全に床に落ちていた。浴衣はだらしなく裾を開き、肩に羽織っただけの状態になっていた。
日向は「汚したり破ったりしちゃ申し訳ないしな」と言うと、ゆっくりと前を開き俺を下着一枚の姿にした。日向も素早くポロシャツとズボンを脱ぎ去ると、俺と同じ格好になった。
向かい合い、キスから始める。体は触れ合わず、ただ指先だけが俺の体を這い回った。乳首をしつこく弄られ、たまらずに腕を掴む。唇を放すと日向がほくそ笑んだ。

「そのまま立ってろ」

 そう言って首筋から胸元へと舌を這わせてきた。目の奥がジンと痺れるような感覚。そして下腹部は燃えるように熱い。次第に呼吸が早くなり、呼吸とともに喘ぎが漏れた。日向の舌先は暫くの間乳首に留まり、俺の声が止まらなくなるのを聞いてから臍へと降り、股間へと辿り着いた。
下着に指を差し入れ、ゆっくりと引き下げられる。露になったペニスを先端から含まれ、膝が震えた。

「っ…もう…立ってられな…いんだけど…」

 俺の必死の訴えにも耳を貸す気配はなく、日向の施しは続いた。根元を揉みしだいていた指が奥の方へと移動し、秘部に触れる。その刺激に我慢できなくなり、俺はあっけなく、日向の口内に全てを放出してしまった。
 体中の力が抜け、日向に抱きかかえられた俺はそのままベッドに横たえられた。体を割るように日向がのしかかってくる。荒々しい愛撫は全身に及んだ。まさしくケモノだった。
 備え付けのローションを手に取ると、アナルに塗り込み、日向自身をたっぷりと濡らす。準備を促す甘い言葉のひとつもなく、日向は俺の中に突っ込んできた。ただ、もう我慢出来ない、そんな切羽詰まった挿入だった。

 淫猥な音をたてながら日向の腰がリズミカルに動く。ローションの滑りで痛みもなく、日向の規格外のペニスから与えられる性感が羞恥も理性も奪っていく。
一度達したオーガズムの余韻が抜けきる間もなく次の波がやってくるという有り様で、俺の下半身は中も外もイキっぱなしだった。
ケモノと化した日向も、今はもう俺の体を蹂躙することしか頭にない。ただペニスへの刺激を追い求めているに過ぎない。そんな日向を欲しがり疼いている俺の体も、やはりケモノ以外の何者でもなかった。
 何度目かの絶頂に達し、絞り出すような咆哮を最後に、日向は力尽きた。中でイッたままの状態で俺の上に倒れこむ。駄々漏れの精液が腹の間で滑り、不快ではあったが体を動かす気力もとうに尽きていた。
 ラブホテルという空間の淫靡さだろうか。
今日のような箍の外れ方は予想もしていなかった。自分の中で日向との関係はそろそろ成熟しつつあると感じていた。実際、前にここへ入った時のようながむしゃらな性欲も今は落ち着き、たいていは理性でコントロールできると信じていた。
 俺は大きな勘違いをしていたのかもしれない。それは寮で行なう性交への社会的な理性であって、日向への理性ではないのだ。誰への遠慮も配慮も必要のない場所で日向と求め合えるのなら、理性などかなぐり捨てられる。
俺はこんなにも日向を愛し、のめり込んでしまっているのだ。

「おまえ、またなんか難しいこと考えてるだろ…」

 呂律の回らない口調で日向が呟いた。声もガラガラだ。あと30分程でシャワーを浴びて出なければ追加料金を取られてしまうが、俺も日向も体がだるく、ベッドに横たわったままどうにも動けないでいた。
 そんな状態でも日向は俺の頭を二の腕に乗せ、ゆったりと髪を撫でたり指に巻いたりして弄ぶ。終わった後のこういう時間を大切にしたいと、前に言っていたのを思い出す。

「俺もまだまだガキだな、って思って」
「ガキがこんな濃厚なセックスするかよ」
「体ばっかし一人前って感じだよね」
「そうかあ?」

 俺は余韻を振り切って体を起こした。日向の腕が取り残される。「もうか?」と不満気に溜息をついたが、結局日向ものろのろと起き上がった。部屋を出る時間から逆算してのタイムリミットだった。

 浴衣の着付けは見事に再現できた。シャワーで濡れた毛先は家に帰り着くまでには乾くだろう。今夜の情事はそうやって時間とともに静かにかき消えていく。いずれあの熱が現実だったかさえ曖昧になっていくのだろう。
 日向の住む町とを繋ぐ橋の真ん中で、祭の後の残り香をゆっくりと肺に吸い込んだ。夜気には微かに秋の匂いが混じっていた。そのせいか、明日にはまた会えるというのに、今夜そろそろ別れなければならないことが心許なく思えてくる。寮に戻れば四六時中、一緒にいられる贅沢を手にしているのに、わずかな時間さえも離れたくないと感じてしまう自分が女々しくて嫌になる。

「俺、春までに日向さん離れ、できんのかな」
「そんなの、無理に決まってる。物理的に離れちまっても、俺はいつだっておまえを求めちまうだろうな」
「うん…俺もそうなりそうで恐い」
「いいんじゃねえの、それで。だって俺ら、まだまだガキだしな」
「……」
「いいんじゃねえの」

 日向は静かに笑うと、やさしく腰を抱いた。そして「また明日」と言って軽く唇にキスをした。体の奥深くに沈澱していた熱の名残りが少しだけざわついた。

2013.8.23〜9.3